**6月21日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第70回までを掲載しました。
**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。
**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。
**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。
**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。
**人外境(にんがいきょう)のあらすじ (7)
**スーダンのハルツームに着いた芽蘭(ゲラン)夫人はここで夫芽蘭男爵からの手紙を受け取り、男爵がまだ生きているかも知れないという希望を持つ。
**芽蘭男爵が死んだという前提で茂林と平洲に同行を求めていた芽蘭夫人は、茂林と平洲にパリに戻る様言い渡す。
**芽蘭男爵の死んだ場所を特定すると云って芽蘭夫人に同行していた茂林と平洲は今更手ぶらではパリにには帰れないので、芽蘭夫人が同行を拒絶するなら、自分たちで探検隊を組織して芽蘭男爵を捜しに行くと言い出す。 **芽蘭夫人は芽蘭男爵が生きているという事でも茂林と平洲が同道するというので、一緒に行動する事にする。 **愈々アフリカの未開地に踏み込んだ一行は、アフリカの自然や原住民の風俗に触れるが、最初にやらかしたのは與助で、象牙と交換する為に原住民の娘二人をかどわかす。 **帆浦女は茂林と平洲、寺森医師の誰に好意を持ったら良いか迷い、気分転換に出かけるが、木立の中を流れる川辺に行き着き、ツイ暑さも手伝って、川遊びをする気に成る。 **帆浦女が川から上がると脱いでおいた着物が無くなって居た。猿が帆浦女の着物を持ち去っていたのだ。素っ裸で水遊びをしていたので、誰も居ないアフリカの原野でも、素っ裸で歩いて皆の所に帰るわけにもいかず困り果てる。 **芽蘭夫人が孤独感から憂鬱病になり、沈み込んで仕舞ったのを見て、寺師医師が芽蘭夫人の憂鬱病の精神分析して、鬱の気を晴らすためのアドバイスをしようとする。 **この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代ですが、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書かれているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。
155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
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直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
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他に、鉄仮面、巌窟王、ああ無情など黒岩涙香の16作品を掲載しています。コロナウェルスで図書館も閉館に成って居ます。ぜひこの際、黒岩涙香の作品を読んで見て下さい。
まだ、噫無情(ああむじょう)を「銀の皿」を盗む話だと思って居る方は、ぜひ下の青文字「ああ無情」クリックし、お読みください。
一か月位前まで、毎週日曜日の夜、11時からNHKで「レ・ミゼラブル」を放映して居ましたが、黒岩涙香のこの「ああ無情」を読んだ方が、映像で見るよりも、もっと情景が鮮明に目に浮かんで来ました。黒岩涙香の文章の描写力のすごさを感じます。
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