
**5月11日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第30回までを掲載しました。
**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。
**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。
**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。
**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。
**人外境(にんがいきょう)のあらすじ (4)
**ベドイン人達に連れ去られた下僕與助を取戻そうと、茂林は一人旅のベドイン人の馬を借り受け、與助の後を追う。
**通訳亜利は、茂林が連れ去られた下僕與助を助けに、ベドイン人達を追って行った事を芽蘭夫人に伝えた。
**芽蘭夫人はジッダのフランス領事に茂林、下僕與助の救出を頼むが断わられる。」
**寺森医師、通訳亜利、ベドイン人、雇った現地人二人の計五人で茂林を追う。
**ベドイン人に捕まって居た茂林は助けたが、下僕與助の行方が分からず、砂嵐で沙漠の砂に埋まってしまったという結論になった。
**下僕與助の事は諦め、芽蘭夫人の一行はジッダから紅海を渡り、対岸のアフリカのスーダンのスアキンに渡った。
**この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代で、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書れているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。
155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
1850年代のアフリカはこれくらいの理解度だったのかと再認識した。
今から150年前のアフリカはこんなだったのかと思う事ばかりだった。
黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
「トシのウォーキング&晴耕雨読」のURLから
お入りください。
直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
www.tosi-w.com/index.php?"
他に、鉄仮面、巌窟王、ああ無情など黒岩涙香の16作品を掲載しています。コロナウェルスで図書館も閉館に成って居ます。ぜひこの際、黒岩涙香の作品を読んで見て下さい。
まだ、噫無情(ああむじょう)を「銀の皿」を盗む話だと思って居る方はぜひ下の青文字「ああ無情」クリックし、お読みください。
今、毎週日曜日の夜、11時からNHKで「レ・ミゼラブル」を放映して居ますが、黒岩涙香のこの「ああ無情」を読んだ方が、映像で見るよりももっと情景が鮮明に目に浮かんで来ます。黒岩涙香の文章の描写力のすごさを感じます。
黒岩涙香の「噫無情」を読む方は下の
「噫無情」をクリックするか下のURLの
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