atakaの趣味悠久

ウォーキング、ウォーキング途中で出会う野鳥、草花の写真、その他、趣味について記載

黒岩涙香 「人外境(にんがいきょう)」(4)

2020年05月11日 22時47分55秒 | 日記


**5月11日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第30回までを掲載しました。


**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。


**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。


**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。


**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。


 


**人外境(にんがいきょう)のあらすじ (4)


**ベドイン人達に連れ去られた下僕與助を取戻そうと、茂林は一人旅のベドイン人の馬を借り受け、與助の後を追う。
**通訳亜利は、茂林が連れ去られた下僕與助を助けに、ベドイン人達を追って行った事を芽蘭夫人に伝えた。


**芽蘭夫人はジッダのフランス領事に茂林、下僕與助の救出を頼むが断わられる。」


**寺森医師、通訳亜利、ベドイン人、雇った現地人二人の計五人で茂林を追う。


**ベドイン人に捕まって居た茂林は助けたが、下僕與助の行方が分からず、砂嵐で沙漠の砂に埋まってしまったという結論になった。


**下僕與助の事は諦め、芽蘭夫人の一行はジッダから紅海を渡り、対岸のアフリカのスーダンのスアキンに渡った。


 


**この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代で、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書れているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。 
 155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
 1850年代のアフリカはこれくらいの理解度だったのかと再認識した。

今から150年前のアフリカはこんなだったのかと思う事ばかりだった。  





 黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
「トシのウォーキング&晴耕雨読」のURLから
 お入りください。
  直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
    

「人外境」





www.tosi-w.com/index.php?"


 他に、鉄仮面、巌窟王、ああ無情など黒岩涙香の16作品を掲載しています。コロナウェルスで図書館も閉館に成って居ます。ぜひこの際、黒岩涙香の作品を読んで見て下さい。
 まだ、噫無情(ああむじょう)を「銀の皿」を盗む話だと思って居る方はぜひ下の青文字「ああ無情」クリックし、お読みください。
 今、毎週日曜日の夜、11時からNHKで「レ・ミゼラブル」を放映して居ますが、黒岩涙香のこの「ああ無情」を読んだ方が、映像で見るよりももっと情景が鮮明に目に浮かんで来ます。黒岩涙香の文章の描写力のすごさを感じます。

 黒岩涙香の「噫無情」を読む方は下の 
 「噫無情」をクリックするか下のURLの
 「トシのウォーキング&晴耕雨読」からお入りください。
  http://www.tosi-w.com/
  

「噫無情」






FC2 ブログランキング

写真(植物・花) ブログランキングへ

にほんブログ村 写真ブログ 植物・花写真へにほんブログ村




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 咲いて居たハコネウツギ | トップ | ギシギシのセッカ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事