
**7月22日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第100回までを掲載しました。
**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。
**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。
**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。
**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。
**人外境(にんがいきょう)のあらすじ (8)
**スーダンのハルツームからナイル川に沿って南下し、モンパトに着いた芽蘭(ゲラン)夫人はここの国王魔運坐に見初められ、妻にと望まれる。
**芽蘭夫人を妹と云う触れ込みで魔雲坐王に紹介していた茂林は芽蘭男爵を芽蘭夫人の父親と言うことにして、父芽蘭男爵の同意が無ければ嫁にはやれないと主張する。
**魔雲坐王は200人の妻たちを離縁し、芽蘭男爵に結婚の同意を貰うため、一行に同行する事にする。 **一行について来た魔雲坐王はドモンダと云う土地で、家来が戦争もせずにだらだらついて行くのは拒否して故郷に帰ると言い出したと茂林に告げる。 **茂林は途中での戦争や略奪は厳禁していたが、アフリカの未開地の習慣に従って、原住民との戦争を許可する。 **魔雲坐王の兵士たちは戦争が出来る事に歯をカチカチと鳴らして喜んだ。戦争前に歯をカチカチと鳴らして躍り上がるのは人喰い時代の名残で、久しぶりに人が喰えるのを喜んでの事だという。 **茂林達の加勢も有って魔雲坐王側がドモンダ人との戦争に勝利した。 **戦争が終わった後、茂林は燃えているドモンダ人の小屋で今にも燃えそうな壁に貼られた文字が書いて有る紙を見つける。 **貼られていた紙は芽蘭男爵が芽蘭夫人や故国の人へ書いた男爵の今までの行動録と心境だった。 **この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代ですが、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書かれているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。
155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
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直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
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