
黒岩涙香の翻訳小説 『椿説 花あやめ』 を7月4日より連載開始し、第48回まで連載しました。
原作 『母の罪』 バアサ・エム・クレイ女史 作
1902年(明治35年)6月17日から10月5日まで新聞「萬朝報」に連載された。
(黒岩涙香作品・夢現半球)より
『椿説 花あやめ』のあらすじ 3
蔵戸家に到着した、梅子、松子は、蔵戸子爵、葉井田夫人、瓜首弁護士によって、蔵戸家の相続人には、何方が適任かあらゆる方向から注意深く観察される事に成った。
瓜首弁護士は長年の弁護士という仕事で培った鑑識眼が有るので、私に係れば直ぐに相続人にどちらが適任か判断が附くと、豪語して居たが、梅子、松子の実物に逢って見ると、此方の方面は梅子が優れて居るが、あちらの方面は松子が優れて居ると云う具合で、蔵戸子爵が選べなかったように、梅子、松子の優劣は中々付けられなかった。
大領主となって領地を統治する方面の能力は、松子の方が上だろうというエピソードが有ったりしたが、あれこれ迷って、中々判断が出来なかった。
これ以上迷っても仕方が無いので、もう好い加減に相続人を決めようと云う事に成り、三人の投票で決める事に成った。
投票の結果は松子が三票を得て、蔵戸家の相続人に極まった。
蔵戸家の相続人に極まった松子には、実は許嫁とも云うべき、将来を誓い合った人が居た。松子は其の事を、蔵戸家の相続人に極まる前に、子爵に話して置こうとしたが、強欲な母、草村夫人に止められて言い出せずに居た。
蔵戸家の相続人と極まったからには、子爵には自分には許嫁とも云うべき人が居る事を話して置かなければならいと強く思い、子爵に話しに行った。
松子から自分には許嫁が居る事を打ち明けられた子爵は、初めは驚いたが、松子の許嫁に逢って見る事にした。問題が有れば松子の相続人を取り止めにするかもしれないとまで言って許嫁に逢った。
松子の許嫁は平民主義の急進派だという。貴族とは相容れない主議者だ。だが松子の許嫁の急進主義者は中々の若者だった。蔵戸子爵は松子の許嫁を受け入れる気に成った。
そんな時、ロンドンタイムズに沈没したプリンス号に、ニュージランド行の帆船に助けられた人が二人いたという記事が載った。
この記事を見た松子の母草村夫人はその新聞を誰にも見られないように、自分の部屋に持ち帰り暖炉で燃やしてしまった。
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