中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「生きる」を訪ねてーインドで生活する人たち(インド紀行 3)

2025年02月11日 10時26分00秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/12 に作成した記事であることを
               頭に入れてお読みください。)

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(インドで生活する人たち)
一日目は、フマユ―ン廟で、
インド人の用を足す話になってしまった。
二日目はデリーから汽車に乗って、パトナまで行く。
さらに西へ進めばカルカッタになり、
北へ乗り換えると、紅茶で有名なダージリンへ行く。
その先はネパールで、
ヒマラヤ山脈の山々が白い雪をかぶって待っている。

インドは元イギリス領で、
ガンディーがハンガーストライキをして、
独立を果たしたことで有名である。

そのイギリスが残したのが、
インド全土に広がる鉄道網だ。
聞くところによれば、このインドの広軌道の汽車は、
鉄道マニアにとって一度は乗ってみたい列車なのだ。
そんなことを知っていたボクは、
三等車に乗るということだったので、
すこし期待があった。


(鉄道の駅と停車中の列車)

一方で何年も前に読んだ、
インド鉄道旅行の紀行文が頭に残っていた。
つまりインドでは、列車の一番良い席は、
荷物を載せる網棚で、
降りる人を掻き分け乗り込み網棚の荷物を放り出して、
そこに陣取るのが特等席であるという記憶である。

インドの列車は、同じ三等車でも、
上等なほうから数えて三番目の三等と
上等なほうから数えて、六番目、9番目、
十二番目の三等があって、
その内のどの三等かすこぶる興味があった。

十二番目の三等だと、
席は、インド鉄道旅行の網棚がベストなのだが、
品の良い?
(この際そうゆうことにして置こう)同行者に、
カミさんがいるから席の確保が難しくなる。
ボクは生き馬の目を抜くほどすばしっこいが、
カミさんときたら、育ちが兄弟なしの一人娘で、
のんびり、おっとりしている。
子供のころは、親にあれこれ手助けして貰い、
結婚してからは、ボクにおんぶに抱っこしている。
人の波を掻き分け掻き分け、降りてくる人の頭を踏んづけて、
列車に乗り込むことなんてとてもおぼつかないのである。

でも、日本では一流の旅行社が企画したツアーだから、
12番目と言うことも無かろう。
悪くとも六番目の三等車には乗れると思った。
インドの列車は日本と違って、時間通りに発着することは無い。
それでも、時刻どおりに出発ホームにいなければならない。
間違って定刻に出発することもあるからだ。


(駅のホームへの道)

インドについて仕入れた知識の期待通り、
ホームは溢れるばかりの人の波で、
牛は歩いているし、乞食はいる、
物売りは人の波を掻き分けて移動する。
もちろん乗客もたくさん待っている。さすがに人糞はないが、
良く反芻して、良く消化された牛の糞は
ホームのあちこちにドロリと落ちている。
牛はインドでは神のお使いで大切にされ、

日本の徳川将軍綱吉の「生類憐みの令」も
かくやあらんと思われるほどで、

我が物顔に歩いている。
当然のことビーフをインド人は口にしない。

口にしないで思い出したが、
インドにはベジタリアンと言う人たちがいて、
肉食はしない人たちがいる。
ボク達12人のツアーのガイドさんがベジタリアンであった。
よくよく聞くと野菜ばかり食べて、
動物性のものは食べないというわけではなく、
卵や、チーズ牛乳など乳製品は食べるらしい。
ビーフは食べないのに牛乳やチーズは食べるというのも
なにやらいい加減で面白い。

脱線してしまったが、今回利用する列車の三等は、
上等のほうから数えて三番目であった。
すぐ隣のホームには、何番目の三等か知らないが、
三等車(Third Class)と書いた列車が止まっていたが、
この列車も網棚には荷物が載せてあったので、
一番下等の三等ではなかったが、
それでも、日本人から見れば、
難民が乗っているように思われたから、
相当下の等級であることは確かだった。

さて、その上等の三等寝台であるが、
日本の新幹線の向かい合った3人座席の背に
寝台が向かい合って三段あると思っていただきたい。
その脇に通路があり、その向こうの窓際に沿って、
下段中段上段の寝台が作ってある。
列車は広軌道のため、客車の幅がすこぶる広い。


(寝台車の中の様子/暗くて良く写らない)

ベッドはむき出しで、カーテンが在るわけでもない。
ビニールの寝台にシーツをかぶせ、
毛布にシーツをかけて。
体をくるんで寝る。
ベッドの幅は体の横に腕を置ける程度で、
とても寝返りは出来ない。
すこし体を動かすと下に落ちそうになる。

その列車に乗って13時間、デリーからパトナまで
長い距離であるが、移動した。
旅行二日目と言うこともあり、時差の関係でよく眠り、
13時間もただの一眠りで目的地に着いた。


(パトナの真夜中の駅でさえこの人ゴミ)

駅を出ると、早朝にもかかわらず圧倒的な人数の
人ごみが駅で待っている。
12人分の旅行バッグを駅から運ぶ
ポーターがガイドさんめがけて集まる。
ガイドとポーターが値段の交渉をするひと悶着があって、
ポーターは値段はいくらか知らないがしぶしぶ引き受ける。
十億の民は、仕事にありつければ幸せなほうである。
人は溢れて全員が仕事にありつけない。

日本では学生は仕事を選ばなければ、
アルバイト、パートで仕事にありつけるが、
インドでは、学生がアルバイトする余地はない。
そんな仕事がもしあれば、仕事にあぶれている人たちが、
とっくに仕事を奪っていくのだ。
学生が暇にあかせてするような仕事はないのである。


(荷物運びの料金の折衝をするインドのガイドさん)

ボクは自分の旅行カバンを一つ持つのさえ大変なのに、
ポーターたちは軽々と三個も持って
(二個は頭の上一つは手にぶら下げて)
人の波の間をすいすい渡り歩いていく。
二個持つ人、三個持つ人で料金が違うのだろうか、
あるいは一緒なのだろうか?
仕事が売り手市場だから、
気の弱い人は三個でも同じ料金なのかもしれない。


(二つの荷物は頭上に一つは右手にあるポーター)

豊かな日本に育ってぶつぶつ文句ばかり言っている若者達を、
一度インドにポンと降ろして、
「一ヶ月生き延びてみよ」と言いたい。
そして生きることの大切さを実感して欲しいものである。

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出物腫れ物所嫌わず(インド紀行2)

2025年02月08日 19時02分11秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/02/04 の記事であることを頭に入れてお読みください。)

(出物はれ物、ところ嫌わず)
人は生きるために食べる。
食べれば出さなければならない。
その出物の話である。


(フマユーン廟)


(フマユーン廟2)

(フマユーン廟入り口)

初日はデリー観光である。フマユ―ン廟へ行った。
廟と言うからにはお墓である。
廟は広大な敷地に緑の芝生、南国の木が植えられており、
石造りの壁に囲まれ、石を組み立てた城を思わせる。
世界遺産のタージマハルといえば、
すぐ想像していただけると思うが、
その原型となった廟である。

フマユーン廟へ石段を登り中に入ると、
大理石造りの石棺が置いてある。
これはレプリカで本物は地下にあるという。
盗掘を恐れたのだ。


(レプリカの墓石1)

古代遺跡には、お墓のレプリカが多く、
本物は盗掘を恐れて別の場所にあるものが多い。
代表的なのがエジプトのピラミッドである。
クフ王のピラミッドの中には石棺があるが、
石棺に到達するまでの間に、迷路のように長い坂道があり、
玄室に入る直前には、
腰をかがめなければ通り抜けられない箇所がある。
腰をかがめているから、
活動が制限される。
動きが悪くなるすぐその先は落とし穴があり、
遥かな闇の先に、奈落の底が待っている。
その落とし穴をクリヤーして、
誰も入ることは出来ないような厳重な通路を抜けて、
やっと目的地に到達する。
しかしその先には、お墓のレプリカしかないのだ。
本物の王の墓は、瓦礫の山の下、王家の谷に並んでいる。


(レプリカの墓石2)

インドの王のお墓も同じくレプリカである。
フマユーン廟の出口の通路は、石が敷き詰めてあり、
両側は見事に手入れされた芝生が広がり、
その庭には転々と無憂樹が植えられていて、
インドの庭とはこんなに美しいものかと思わせる。
とても広い。

フマユーン廟の良く手入れされた芝生の端に
何人かのインド人がしゃがんでいるのを見た。
最初は何をしているのかと不思議に思った。
芝生の手入れをしているのか?
でも少しおかしい。
手が動いているわけでもなく、
通路を通る人を見渡す表情が得もいわれないのである。
恥ずかしそうで、情けなさそうで、
なんとも言えない表情である。

インドで公衆トイレを見かけることは無かった。
インド人の家にはトイレが無い(?)ように感ずる。
ホテルや大きなレストランはともかくトイレが見当たらない。

世界第二次大戦で敗戦直後の日本のようなものである。
野山がトイレである。
インド人の服装は男女を問わず上着のすそが、
ひざの上まであるものが多い。
しゃがんで用を足すとき、
上着が地面に垂れ下がり下半身が隠れるように出来ているが、
こんな格好をしているときは用を足しているときである。

男も女も同じしゃがんだ格好で大小の用を足す。
観光地であろうと、道路上であろうと、
ところ嫌わずである。

今回の旅は、観光地で有名なゴールデン・トライアングルでなく、
釈迦の一生を追う仏教遺跡を訪ねる旅であったので、
インド人の生活を良く見ることが出来る田舎を訪ねる旅であった。

田舎へ行けば行くほど、郊外レストランも無く、
ガソリンスタンドも無く、ドライブインも無く、
勿論公衆便所も無いので、トイレは止むを得ず、
「あおぞらトイレ」になる。

観光バスが通ってきた道路の右側が男性、
左側で女性が用を足す場所だ。
男性は道路わきで立ったまま用を足せばよいが、
女性はそうは行かない。
サトウキビ畑の向こう側まで行って、
道路側から見えないところで用を足すことになる。

(バスの通った道)

最初に書いたように、なんと言っても十億の民が居る国。
どこへ行っても人が居る。
ということは、どこもトイレであるから、
日本と違って、どこに落し物があるか分からない。
用を足してきたご婦人の靴に、
インド人の落し物がべったり着いてくる。


夜バスを走らせると、
ヘッドライトに浮かぶ道路脇にしゃがんだご婦人が
急いで裾を上げる姿が目に付く。
一リットルほどの水の入った容器を持っているので
何をしていたかが想像できる。
インド人はお尻を紙で後始末しないで、
一リットルの水をお尻に流し、
左手で洗い清めるのである。


(インドの市街地の喧騒)

トルコでもそうであった。
日中は道路より奥まった、
人から見えないところで用を足すが、
さすが夜には蛇なんかも居るので、
道路より奥には入れないから、
道路端で用を足す。

それも町外れが一番多いことは誰にも想像できる。
ある時、町外れで用を足すことになった。
女性はガソリンスタンドにある
たった一つのトイレを使うことになったが、
男性は青空トイレとなった。
ボクは人生経験が長いから、
こんな時恥ずかしいという気持ちは無く、
出るものが出るのは、
当たり前と言う気持ちのほうが強いので、
バスから降りて二三歩の道端で用を済ます。


(路線バスの乗客たち)

ヘッドライトの明かりの中の方が
足元が良く見えて危険が無いからだ。
その代わり、用を足している姿を、
他人が見ようとすれば丸見えになる。
でも、80歳に手が届こうとするおっさんの、
用を足す姿を見るほど余裕のある人はいない。
自分のことで精一杯のはずである。
道端には雑草が生い茂っているが、
一歩前に進めば見られる心配は無いが、
決して一歩前に進んではならない。

80年近く生きていると、
こんな時、誰も見るわけが無いと平気でいられる。
しかし男性でも、すこし恥ずかしがり屋は、
少し離れたヘッドライトが届かない場所で、
しかも一歩前に進んで草むらの中で用を足す人も居る。
そんな人は、用を足す人の心理に沿って用を足すので
(つまりインド人も日本人も
恥ずかしいということは同じであるらしく、
同じ場所で同じ行動をするので)

足元に気付かず、インド人の落し物をいやと言うほど、
しっかり踏みつけてくることになる。
日中ご婦人方が経験してきたことを、
見ていれば分かりそうなのに、注意不足は仕方が無い。
生きていくものは、
生きるために食べなければならないし、
食べれば必ずその滓(かす)を出さなければならないのである。
いやはやこの旅は一体どういう事になるのだろうか?
先が思いやられる。

(ゴミから食べ物をあさる子共)

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インド旅行ー副題 生きるを訪ねて(インド紀行 1)

2025年02月06日 16時10分48秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
(これは2006/01/13 の旅行記事です)

(インド旅行)
生きるを訪ねてインドを旅してきました。
インディラ・ガンディー国際航空から外に出ると、人人人・・・・、
十億の民の視線を浴びました。
なんと沢山の人たちがいるのだろう、
夜でもありそのままホテルへ。

(インディラ・ガンディー空港)
(インディラ・ガンディー空港到着の日航機)

翌朝、テロ事件があったばかりのデリーを観光。
12人のツアー客に3倍ほどの物売りが殺到しました。
それもやや汚れたTシャツにサンダル履き。
加えてもっと汚れた衣装を身につけ、
裸足で、髪は汚れ、何か言いながら、
汚れた手を差し出す子供たちの群れ。

(汚れた手で物乞いをする子供)

何を言っているのかガイドさんに聞くと、
当たり前のことだがインドの言葉で
「おめぐみを!」 と言っているとの事。
これについては、観光客の自主にお任せしますと、
最初に念を押されていた。 

その他注意されていたのが、衛生上の問題。
コレラ、マラリア、下痢、発熱。
 旅行準備の注意書きにもあったが、飛行機が飛び立つ前に、
一人当たり50枚の消毒用のアルコール綿を旅行社から手渡されていた。
生水はもちろんのこと、生野菜のサラダ、皮をむいた果物、
アイスクリーム、フレッシュ牛乳、etc.
火を通さないものは絶対ダメ。

歯磨き、うがいも、購入したミネラルウォーターで、
それこそホテルのドアーから、トイレのドアー、
列車バスの乗り降りの取っ手まで、触れたら消毒をする。
もちろん食事前の手の消毒は言うまでも無い。
ツアー客の三分の二は旅行中に下痢症状を訴えると言う。

「おめぐみを」の声を無視していると、
猿の手のような汚い手で触ってきて注意を惹こうとする。
物売りはしつこく食い下がってくるが、
ガイドさんは同じインド人として仲間だから、
「向こうへ行け!!」
とは云えませんという。

イギリス領であったインドは、おおよそ誰もが英語を話せ、
理解できるというので、
「ノー!」と追い払ったつもりが、どんどん食い下がってくる。

嫌がらせメールと同じで、
一度反応を示すと、(見込みあり)で、
これでもか、これでもかと、
余計しつこく食い下がってくる。
無視するのが一番良いようである。

物売りはインド人に寄り付かない。
いや寄り付くのだが、誰にも分からないように拒否する。
腕を組んだまま、脇の下で、手のひらを左右に振る。
それを見て物売りは引き下がる。
物売りは、ダメをあらわす仕草の手のひらを振ると、
引き下がっていくが、物乞いの子供は引き下がらない。
やっぱりインド人にはねだらない。

持てるものは、貧しいものに
「おめぐみを」提供するのは当たり前の土地柄。
貧しいものは富める者から「おめぐみを」貰う権利がある国。

ボクがボールペンを胸のポケットに二本挿していると、
(お前は二本持っているが俺には無いからこれは俺のもの)と考える。

五体満足の乞食はまだしも、腰から下の自由が利かず、
体を手で引きずりながら移動する乞食が、
上を見上げて片手を差し出す姿、
大きな澄んだ目で物乞いをされて、
哀れに思わない人はいないに違いない。
こんな乞食の後ろには、五体満足の人が見張っている。
乞食は「おめぐみを」受けるやすぐに、
その管理者(?)に「おめぐみ」を渡している。
子供の乞食の近くには、
親が見張っていたりする。


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トイレ事情(生きるを訪ねてインド紀行)

2024年01月05日 17時51分05秒 | インド紀行(生きるを訪ねて)
日本に来る外国人は、和式トイレに入って、
いわゆる金隠しの上に座って用を足そうとする人がいるそうだ。

上野の谷中(地名:やなか)にある純日本風旅館の主人が語っていた。
この旅館は、日本風であることと、おもてなしの心に溢れた旅館として、
ネット上で欧米人の評判になった旅館である。

銭湯も和式のトイレも、欧米人から見れば変っているもののようだが、
日本を理解する上で、大切なものだそうだ。
湯船に入る前にすそを洗い身体にお湯を流すと聞くと、
途端に安心して湯船に浸かると言う。

欧米のトイレは椅子式で、日本もずいぶん洋式が増えた。
でも、この旅館は和式を洋式に替えることはないという。
勿論、畳に布団をべッドにするなんてことはしない。
隣の部屋との仕切りの襖も、これも壁に替えることはしない。
何故ならこの和式の魅力を感じて泊りに来る外国人が多いからだそうだ。


アジアのトイレ事情は日本人も驚くことが多い。
お隣の中国では、便器に金隠しは無く、
ドアを開けてどちらを向いてかがめばよいか解からない。
日本では、ドアを開いて奥に向って用を足すので、
中国でも同じと思って用を足すと、それは間違い。
中へ入って、ドアー側に向き直り用を足す。
外から外敵に襲われた時の用心だと言う。
ボクが旅行を始めた時の、中国ではドアーが無かった。
衆人の中では、大も小も、とても用は足せない。
一瞬であるが、前立腺肥大を疑った。


次がトルコ。

ここは椅子式の座って用を足す方式。
何が違うかと言うと、用を足した後の始末の仕方が違う。
日本では終わった後、トイレットペーパーでお尻を拭くが、 
トルコでは、紙は無く水道のホースがあり、
ホースをお尻に向けて水を流し、左手で洗う。

古い遺跡を訪ねて、そこに公衆トイレがあった。
ベンチのように長い椅子があり、
ポーランドのアウシュビッツの捕虜収容所のトイレのように、
お尻を乗せるところに丸い穴が幾つも開いている。
穴を覗くと、はるか下のほうに川の流れがあり、
そこへ用を足したものを落とす。
落としたものが水しぶきを上げても、お尻までは届かないほど深い。
川への落し物は、住んでいる魚の餌食(?)になるのだろうか?

用を足した後の始末であるが、座っている足元にせせらぎがあって、
せせらぎから左手で水を掬ってお尻を洗う、
そのように出来ていると、ガイドの方(妙齢な女性)の説明であった。

さて、ここで言う左手と言うのが大切なことで、
トルコ人は食べ物を絶対左手では持たないのである。


(作業に出かける前に座らせたアウシュビッツ強制収容所のトイレ)

(『反戦の願い』の「アウシュビッツ」を参照願います。)


次がインド。

インドではテレビ、冷蔵庫はあっても、トイレは無い。
そう最近のCNNニュースが、(2013.9.30)
「テレビや冷蔵庫はあってもトイレが無い、経済大国インドの現実」の中で、
(スマホは53%普及しているのに、トイレは46%ほど)と伝えている。

インドを旅したとき、トイレ休憩でバスが村はずれの道路上で停まった。
走ってきた道路を境にして、左側は女性、右側は男性のトイレだという。
見渡すと一面の畑で、サトウキビが植えてある。

男性は道路脇で立ちションで済むが、女性はそうは行かない。
止むを得ず、サトウキビ畑の奥で人が見えない所まで行って用を足す。

つまり、公衆便所は見つからない。
ホテルでもあれば心配ないが、それ以外はトイレを見つけることは不可能。
いや不可能ではない、地面があれば何処でもトイレだから、
地面は全て、どこもかしこもトイレと考えた方が良い。

夜道をバスで行くと、道路脇から一リットル缶を持った人が、
道路に上がってくるのに出会う。
用を足した人だ。
走っているうちに何人にも出会う。
なんと言っても人口13億人のお国である。

インドでは地上の何処にも人はいる。

(インドのトイレ事情については、
 「生きるを訪ねてインド紀行2」
 次回を ご期待ください。)

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