中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

追分宿の一里塚(旧中山道を歩く 113)

2007年08月22日 08時13分32秒 | 4信濃(長野県)の.旧中山道を歩く(110~1


(追分の一里塚)

(追分宿)
国道18号と合流した旧中山道を、西へ進むとまもなく
「←信濃追分駅」の案内看板と共に歩道橋にぶつかる。
歩道橋右手の中学校を通過すると、道路両側に
「追分の一里塚」が見えてくる。
道路は拡張されたので、昔のまま残っているわけではないが、
芝生の緑色に覆われたずんぐりした塚である。
中山道で一里塚を沢山見てきたが、日本橋をスタートして最初の宿場町、
板橋宿から一里を示す「志村の一里塚」が、一対で残るものとしては、もっとも原形を留めているように思う。
「追分の一里塚」も、なるほどと思わせる一里塚である。
軽井沢教育委員会の説明でも、(追分の一里塚は、よく原形を保って
当時を偲ぶことのできる貴重なものである。)とある。


(北側の追分の一里塚)

この一里塚の先で、追分宿は国道と別れ右に入るが、「右追分宿」の
大きな案内看板があるので分かりやすい。案内に沿って歩くと
旧中山道に入り口にも丁寧に案内看板が歩行者の目線に置いてある。
ずいぶん親切な案内である。自治体の取り組み姿勢が覗える。
案内看板には、
追分宿、追分郷土館、堀辰雄記念館は右と矢印がある。
矢印に沿って歩くと、道路右側に平行して御影用水といって
清らかなせせらぎがあり、その川に小さな石橋が架かっている。
橋を渡ると、浅間神社(あさまじんじゃ)の鳥居が見える。
鳥居をくぐった左手広場に、芭蕉句碑が見える。


(追分宿の案内看板)


(目線の高さにある案内看板)


(道路脇の御影用水)


(浅間神社の鳥居)


(芭蕉句碑)

・吹き飛ばす 石も浅間の 野分けかな)とある。

説明によれば、
大自然石に雄渾な文字で、更科紀行中の句が刻まれ、
芭蕉百年忌に当たる寛政5年(1793)佐久の春秋庵の俳人たちが
建立したとものといわれている。(軽井沢町教育委員会)

さすが軽井沢町、外国人が訪ねてくることを想定して、英語、ハングル文字、中国語でも紹介してある。
中でも、英語による紹介では英文への翻訳が、俳句の雰囲気を良く表しているので
紹介して置きたい。
(Mt Asama,the autumn storm even blows the stone away.)

なお、ハングルと中国語は知らないので、紹介を省きます。
ご興味のある方は、一度お訪ね戴き、ご覧になることをお勧めいたします。

広場の右手には、「追分節発祥の碑」が見える。


(追分節発祥の碑)

説明では、
(江戸時代、主要道路であった中山道を利用した旅人は、
難所である碓氷峠を通過し、江戸と京都の間を往復した。
この碓氷峠を中心に駄賃付けの馬子達が仕事唄として「馬子唄」を唄い続けた。
この元唄は「軽井沢宿」「沓掛宿」「追分宿」の飯盛り女たちの三味線等により洗練され(追分節)として成立した。
馬子唄から座敷唄になったことで、諸国に広く伝播され有名になった。
(軽井沢町教育委員会)
その追分節の一部を紹介しておく。
説明に有るように馬子達が唄ったものを、飯盛り女達が座敷唄として唄ったものであるため、
歌詞も何通りもあるようであるが、
信濃追分、追分馬子唄、正調信濃追分のうち、追分馬子唄を記します。


○追分桝形の茶屋で ホロと鳴いたが アリャ忘らりょか(ハイーハイー)

○浅間山さん なぜ焼けしゃんす 裾に三宿 持ちながら(ハイーハイー)

○小諸出てみりゃ 浅間の山に 今朝も煙が三筋立つ(ハイーハイー)

○碓氷峠の権現様は 主のためには 守り神(ハイーハイー)

○浅間山では わしゃないけれど 胸に煙りが 絶えやせぬ(ハイーハイー)

○浅間根越の 小砂利の中で あやめ咲くとは しおらしや

○西は追分 東は関所 関所越ゆれば 旅の空(ハイーハイー)
                               ♪
なかなか情のこもった歌詞である。


(浅間神社本殿)

鳥居をくぐった正面には浅間神社の本殿があるが、
(本殿は室町時代のもので、町内の木造建築としては最古のものである。
浅間大神遥拝の里宮で大山祇神と磐長姫神の二神が祀られている。
明治二年の浅間山の鳴動が特に厳しく、
沈静祈願のため明治天皇の勅祭が行われた社として有名である。)とある。
(軽井沢町教育委員会)

(郷土資料館)


(馬頭観世音の碑)

本殿の右奥に郷土資料館があるので寄ってみよう。
入り口に大きな馬頭観世音の碑があり、追分馬子唄と共に、
馬のお世話になったことが良く解る。
郷土資料館には、江戸時代の面影を残す、旅篭の様子、往時の旅篭の看板、
高札に掲げられていた内容など展示されており興味深い。


(郷土館に展示された高札)

高札の内容:
         定
1.人たるもの五倫の道*を正しくすべき事
(*君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の道をいう)
1.鰥寡(かんか=夫または妻を失ったもの)、孤独、癈疾のものを憐れむべき事。
1.人を殺す、家を焼く、財を盗む等悪行をあるまじく事。

慶応四年三月            太政官

これは現代でも十分通用する定である。

郷土資料館をじっくり見ていると、いくら時間があっても足りない。
ここで「追分宿散策マップ」(有料)を分けてもらおう。追分宿を歩く参考になる。


コメント
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