中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

宿場と智勝山大通寺(旧中山道を歩く 179)

2009年08月03日 08時14分32秒 | 5.木曽(長野県)の旧中山道を歩く(157~2

(ナマコ壁の奥に見える山門)


(文化財に指定されている鐘楼門)

(木曽福島宿 5)
山門は鐘楼門になっており、木曽福島町の文化財に指定されている。
(当寺は関が原の合戦(1600)のあと、柱山(ちゅうざん)和尚を開山とし、
木曽代官 山村良勝によって建立されました。この鐘楼門は、
安永七年(1778)九月、施主向井休治、
大工棟梁は原源右衛門によって建てられたもので、
当町に現存する木造建築物として最古の一つ。
梵鐘は、寛文四年(1664)北伝和尚のとき、
山村新佐右衛門貞道によって寄進されたものでしたが、
第二次世界大戦中供出されたため、
昭和53年(1978)再鋳されたものです。
山門に掲げられている扁額は、
江戸中期の日本を代表する書家で、
特に篆書、篆刻を得意とする三井親和(*)の作です。)
(木曽町教育委員会)とある。

(大通寺の扁額)

(*)三井親和(みつい しんな)男性、
元禄13年(1700年) ? 天明2年3月7日(1782年4月19日))は、
江戸時代中期の日本の書家・篆刻家である。
字は孺�・、号に竜湖・深川漁夫・万玉亭などがある。
通称は孫兵衛。信州の人。深川に住んだので深川親和とも称された。

今から数えて220年前に建てられた鐘楼門をくぐると、
右手に立派な本堂、左手の壁際にお墓が並んでおり、                  
「武田信玄公息女 真理姫供養塔」の碑が建っている。

案内によれば、                                          
(真理姫は信玄の三女で、天文24年(1559)木曽へ攻め入った信玄が、       
領主 木曽義康と和睦した折に、その嫡子義昌のもとへ甲府から嫁いできました。 
そのとき真理姫はまだ6歳くらいだったと言われています。
天正十年(1983)信玄の死後、織田信長方についた儀昌と                
真理姫の兄勝頼が戦いを交え、勝頼は敗れて武田家は亡びてしまう。
そして天正十八年には徳川家康によって、義昌は網戸(千葉県旭市)へところ替えされ、
五年後に病没し跡を継いだ義利の乱行によって、
木曽家は取り潰される苦難の時代を過ごした。
真理姫は、晩年末子の義通と共に木曽へ戻り、三岳村で隠棲したが、         
正保四年(1647)九十八歳の長寿を全うし、波乱の生涯を閉じた。           
墓は三岳村の野口と、千葉県旭市網戸の東漸寺(とうぜんじ、
義昌の菩提寺)の双方にあり、戒名は「真龍院殿仁栄宗具大姉」です。
大通寺は慶長四年(1601)木曽家の屋敷跡に代官 山村良勝が創建した寺です。   
その良勝が父良侯(たかとき)と共に義昌の重臣であったことと、            
良勝の祖母が義昌の叔母であったという説もあり、                     
これらの縁により供養塔が建てられたものと思われる。                  
ちなみにこの寺は代官 山村良勝の奥方の位牌が安置されています。)(木曽町)とある。


(立派な本堂)


(信玄の娘真理姫の墓)

真理姫の供養塔に合掌して大通寺の鐘楼門を出る。                   
ナマコ壁の狭い通路を抜けて旧中山道に出る。左折すると又水場に出会う。
古い家並みを抜けて道はすぐ突き当たり、宿場の終わりとなる枡形になる。
左折して、すぐ右折した所に井戸がある。

説明によれば、
(この井戸は、江戸時代中ごろに造られたもので、深さ21尺(6.5m)あり、
過去数度の地震ににも少しも壊れることなく、
昭和の中ごろまで町民の飲料水として用いたものです。
この水は清く冷たく、中山道を往来する旅人ののどをうるおし、
また、毎年七月二十二日、二十三日の水無神社の祭礼には、
この水で砂糖水を作って枠持衆(みこしをかつぐ人)に供していたものです。)(木曽町)


(枡形を左折した所、突き当りを右折して井戸がある。)


(写真左手に囲まれているのが古い井戸)


(中八沢橋)


(長い坂を登ると左側にJR木曽福島駅がある)

古い井戸の先には中八沢橋がかかっており、道路は左右に広がる。
中山道を西に進む人は、此処で右折し道路に沿って緩やかな坂を登る。
少し進むと左手に「JR木曽福島駅」が見えてくる。

ここからの木曽の旧街道は此処から途切れ途切れになっており、               
案内に寄れば、たどるのが難しいそうである。
進むのに少し時間が掛かりそうで、駅前の食堂に入りお蕎麦でお腹を満たし、    

先に進むことにした。