(鴻巣宿2)
中山道を進み、本町五丁目付近の中山道沿いに本陣、
脇本陣があったようだが
今は何も見当たらない。
ただ左手にある高野薬局の手前を左折すると、右手に
「中町会館記建設念碑」があり、
(記念碑)
それによると、
この辺りは宿の仲市場の跡で、宿内に番屋があり、
その隣に本陣が隣接していたと言う。
宿場が作られる以前、鴻巣には徳川家康が鷹狩に来た時に
使う御殿があったという。
(鴻巣市教育委員会)
当初北本市にあった宿場が鴻巣に移されたのも、家康の
御殿がこの地にあったためと考えられるが、
それにしてもたかが鷹狩に、わざわざ江戸(東京)から
50km以上もある所に鷹狩に来たのだろうか?
今でこそ車で50kmは約一時間の道のりであるが、
往時は何日も掛かったことであろうし、もっと身近に
鷹狩をするくらいの場所は、沢山あったように思われる。
吉川英治の物語に拠れば、芝の愛宕神社辺りでも、
狐が出た話が出てくるし、池波正太郎の
鬼平犯科帳でも、目黒不動の辺りは一日がかりの
遠足気分で出かけたことを考えれば、
家康が鷹狩をするには、芝公園辺りで
十分間に合ったと思われるが・・・
あるいは鷹狩に事寄せて、別の用事があったのかもしれない。
鴻巣の歩道にはコウノトリが風呂敷を咥えて羽根を広げた
図案化された敷石があり可愛い。
(コウノトリのタイルが埋め込まれた歩道)
8日目鴻巣駅PM16:27の電車でかえる。
70km以上もある所に鷹狩に来たのだろうか?
うんうん私も同じ事思ったよ
でも 戦国武将がいつも京を見ていたり 談山神社の密談とか いろんな事思い出してみると 私達が思うより 昔の人は行動範囲が広かったのかな?とも思う。
せいぜいあって50Km。
しかも江戸時代は船で来てたし。
ご指摘ありがとうございました。
調べてみると、確かに50km程度と解り、
早速訂正いたしました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。