(染井吉野の石碑)
巣鴨駅を右に見て、JRの線路をまたぐ巣鴨橋があるが、
その橋を渡りきった左側歩道上に「染井吉野」の石碑がある。
その石碑の横の桜の木は「ソメイヨシノ」で、
「ソメイヨシノ」のいわれが書いた木札がついている。
(「ソメイヨシノ」はエドヒガンとオオシマサクラから
出来た品種といわれ、成長が早いので、
明治末期には全国に広がりました。
名は江戸染井の植木屋の名から出来たもの{バラ科})とある。
つまり染井村の植木屋の吉野さんが作ったので、
「ソメイヨシノ」と呼ばれる。
「ソメイヨシノ」は案内通り、成長が早いが
虫が着きやすいのが欠点といわれる。
昔から、サクラは山桜であった。
ワシントンのポトマック河畔に贈られた桜も山桜なら、
本居宣長が大和心を詠んだ歌も山桜。
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」
また有名な吉野の千本桜も山桜である。
「ソメイヨシノ」は桜の名前で残っても、
染井村の名前は、今は残っていない。
(医王山 真生寺)
(地蔵尊)
巣鴨橋を渡りさらに中山道を進むと、
左側に「江戸六地蔵尊」医王山 真生寺がある。
巣鴨の地蔵尊は、本来ここの地蔵さんが元祖であるが、
今は、(おばあちゃんの原宿)でにぎあう高岩寺の
「とげぬき地蔵」さんのほうが有名になってしまった。
(おばあちゃんの原宿 巣鴨商店街入り口)
話は戻して、この(おばあちゃんの原宿)の
地蔵通りの入口手前右側に歩道橋があるので渡り、
17号の右側に出よう。出たところの信用金庫の
ショウウインドウに「すがも史跡散歩」なる地図がある。
この地図は、現在の旧染井村近辺の図である。
(史跡散歩の地図)
この地図に従って歩いてみよう。
沢山の史跡散歩が出来る。
まず、この信用金庫の裏手に行くと染井通りがあるので、
左の方へ歩く。すぐに「染井霊園」に到着する。
ここがソメイヨシノ発祥の地で、今は霊園しか残っていない。
園内には時期が来れば、ソメイヨシノが満開になる
「ソメイヨシノ通り」があり、すこし休憩が出来る小公園がある。
ボクが訪ねた時は、まさにソメイヨシノが満開であった。
(染井霊園の桜)
(2004年3月31日)
小さなこの墓地の霊園事務所に向かう。
そこで霊園の地図を手に入れよう。霊園の墓地の案内と
近辺がよくわかる。
この霊園には、智恵子抄で有名な「高村光太郎・知恵子」、
小説家で(くたばってしまえ)をもじったペンネームの「二葉亭四迷」、
明治の元勲「若槻礼次郎」、日本美術院、後の芸術大学の
創始者「岡倉天心」のお墓がある。
(高村光太郎の墓)
(二葉亭四迷の墓)
(若槻礼次郎の墓)
(岡倉天心の墓)
いずれも明治の偉人たちである。心より御冥福を祈ります。
巣鴨駅を右に見て、JRの線路をまたぐ巣鴨橋があるが、
その橋を渡りきった左側歩道上に「染井吉野」の石碑がある。
その石碑の横の桜の木は「ソメイヨシノ」で、
「ソメイヨシノ」のいわれが書いた木札がついている。
(「ソメイヨシノ」はエドヒガンとオオシマサクラから
出来た品種といわれ、成長が早いので、
明治末期には全国に広がりました。
名は江戸染井の植木屋の名から出来たもの{バラ科})とある。
つまり染井村の植木屋の吉野さんが作ったので、
「ソメイヨシノ」と呼ばれる。
「ソメイヨシノ」は案内通り、成長が早いが
虫が着きやすいのが欠点といわれる。
昔から、サクラは山桜であった。
ワシントンのポトマック河畔に贈られた桜も山桜なら、
本居宣長が大和心を詠んだ歌も山桜。
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」
また有名な吉野の千本桜も山桜である。
「ソメイヨシノ」は桜の名前で残っても、
染井村の名前は、今は残っていない。
(医王山 真生寺)
(地蔵尊)
巣鴨橋を渡りさらに中山道を進むと、
左側に「江戸六地蔵尊」医王山 真生寺がある。
巣鴨の地蔵尊は、本来ここの地蔵さんが元祖であるが、
今は、(おばあちゃんの原宿)でにぎあう高岩寺の
「とげぬき地蔵」さんのほうが有名になってしまった。
(おばあちゃんの原宿 巣鴨商店街入り口)
話は戻して、この(おばあちゃんの原宿)の
地蔵通りの入口手前右側に歩道橋があるので渡り、
17号の右側に出よう。出たところの信用金庫の
ショウウインドウに「すがも史跡散歩」なる地図がある。
この地図は、現在の旧染井村近辺の図である。
(史跡散歩の地図)
この地図に従って歩いてみよう。
沢山の史跡散歩が出来る。
まず、この信用金庫の裏手に行くと染井通りがあるので、
左の方へ歩く。すぐに「染井霊園」に到着する。
ここがソメイヨシノ発祥の地で、今は霊園しか残っていない。
園内には時期が来れば、ソメイヨシノが満開になる
「ソメイヨシノ通り」があり、すこし休憩が出来る小公園がある。
ボクが訪ねた時は、まさにソメイヨシノが満開であった。
(染井霊園の桜)
(2004年3月31日)
小さなこの墓地の霊園事務所に向かう。
そこで霊園の地図を手に入れよう。霊園の墓地の案内と
近辺がよくわかる。
この霊園には、智恵子抄で有名な「高村光太郎・知恵子」、
小説家で(くたばってしまえ)をもじったペンネームの「二葉亭四迷」、
明治の元勲「若槻礼次郎」、日本美術院、後の芸術大学の
創始者「岡倉天心」のお墓がある。
(高村光太郎の墓)
(二葉亭四迷の墓)
(若槻礼次郎の墓)
(岡倉天心の墓)
いずれも明治の偉人たちである。心より御冥福を祈ります。
こちらインフルエンザ大流行で 家族全員(私をのぞく)高熱にうかされて 元気な私も思うに任せない日々でした。 移るかな?って心配もあったり
染井吉野の話面白いです。
私が吉野で聞いた話は大工さんまでは一緒でしたが 吉野の桜にあこがれて染井村の吉野桜 そめいよしのと名付けたと聞きました。
地域地域で少しづつ話は変わるものなのですね。
今どこへ行っても小さな観光案内があって楽しいですよね。とてもマニアックな旅ですけれど 一日でひょっとすると地元の人よりもその土地のことを感じることができることもあります。私もいつも駅にあるパンフレットや観光協会のパンフレットなどを積極的に集めて 回るようにしています。
そろそろ春の兆し HIDEさんの旅はどこまで行けるでしょうか? とても丁寧だからまだまだかな?
中山道第一の宿場、板橋宿までもう少しかかりそうです。
いろいろなものの名前の由来、調べれば面白いものですね。