昨年2月、卵巣に境界悪性腫瘍が見つかり卵巣と子宮を全摘出。AVを含む一切の活動を一時休止し、その後は抗がん剤治療も受けた麻美ゆま(26)が14日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪れ、すっかり元気になった姿を披露した。
麻美は重病と闘っていることの詳細を、昨年6月7日付の本紙1面で初告白。酒井修代表取締役社長兼編集局長に「東スポさんに協力してもらい、発表することができました。その後も応援してくださって、また読者の方からも温かい励ましをいただきありがとうございます。昨年秋には抗がん剤治療も終わりました。経過観察として月に1回、病院で検査を受けてますが、今は元気です」と報告した。
その後はバレンタインデーにちなみ、手作りの大福を編集局員に手渡し。回復を祝う東スポ社員の大きな拍手に包まれ、満面の笑みを浮かべた。
麻美は現在、NPO法人「キャンサーネットジャパン」が主催するセミナーやテレビ番組等の取材を通じ、卵巣に関わる病気の正しい知識を広める活動をしているほか、本(3月末発売予定)も執筆している。
内容は「今まで見せてこなかった、麻美ゆまが作られるまでの背景を赤裸々につづる自叙伝と闘病記です。家族や幼少時代の話も含まれます」。さらに「今後はピアノやギターの弾き語りとか、音楽活動もやりたいし、お芝居の仕事もやりたいです」と抱負を語った。
元気になったゆまチンの今後の活躍から目が離せない。
※引用しました。
タレント・女優の中川翔子が14日夜から15日にかけ、大雪のため飛行機の中に約9時間待機していたことをツイッターで報告した。中川のツイッターによると、14日21時には空港に到着していたが、出られたのは翌朝6時近くだったという。
中川は14日まで仕事で台湾に滞在。同日中に帰国予定だったが、15日0時ごろに中川は「無事九時には着陸してるのに、空港が飛行機で混みすぎてるから?なのか飛行機のなかで待機したまま出られずもう三時間半経過。。マヒャドぉお」とツイートし、飛行機から出られないことを明かした。
その後も「いつ飛行機からでられるのかなぁ」「状況わからないまま飛行機のなか。おなかすいた(´;ω;`)このまま朝までかなぁ」「まだ飛行機のなか。見通し全くたたないらしい。おなかすいた」と状況は好転せず。結局、飛行機から出られたのは朝6時近くだったそうで「日本についてからおよそ九時間、飛行機からでられないままでしたがいま解放!みんなロビーの地面に寝てる。。飛行機のなかにいられただけよかったんだなぁ」とその身をもって雪の恐怖を感じた様子だ。
中川は今年1月にスリランカに滞在した際は、エレベーターに閉じ込められたことを明かしており、「スリランカではエレベーターに閉じ込められ、今度は雪の飛行機に!海外トラブル運がすごかりしwwwだれかお祓いして!」と自らの不運を嘆いている。
※引用しました。
俳優の生田斗真が15日、東京・六本木で行われた主演映画『土竜の唄 潜入捜査官REIJI』初日舞台あいさつに登壇。生田は、前日からの大雪の影響で「車が動かず電車で来ました」と報告すると、会場に詰めかけた多くのファンは騒然となった。
2週間連続で都心は記録的な大雪に見舞われ、生田は「日比谷線に乗ってきました」と淡々と明かし「きっと(会場に来ている)誰かに会ってると思うよ。ここに来るであろう若い女の人とか、すれ違った」とニッコリ。周囲に気付かれて大騒ぎになってもおかしくない状況だったが「みんな電車の中でスマホ見てるから大丈夫でした」とお茶目に語った。
共演の上地雄輔も雪の影響で「きのう、ご飯行ってから家に帰ってないです」とお疲れムード。「タクシーがつかまらなかったから、スーパーに2、3時間いた」とトホホ顔で振り返った。
また、きょう日本時間早朝に男子フィギュアスケートの羽生結弦選手が金メダルを獲った話題で登壇者が盛り上がると、上地は「え!? 羽生(結弦)選手、金メダル獲ってたの!?」とぼう然。お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が「スーパーにいたから知らんかったんや」と突っこみ、生田から「録画して、あとで見ようとしてたの?」と聞かれると上地は「本当に帰れなくて…」と落胆し「気になってドキドキしてたのに…言うなよ!」と嘆いていた。
舞台あいさつにはそのほか、堤真一、仲里依紗、大杉漣、吹越満、皆川猿時、岩城滉一、三池崇史監督も登壇した。
※引用しました。
◇ソチ五輪フィギュアスケート 男子フリー(2014年2月14日)
大歓声を浴び、表彰台の中央に立った。フィギュア男子では日本人初の快挙。セレモニー後、インタビューに臨んだ羽生は、複雑な笑みで喜びを口にした。
「緊張しました…すいません、ホントに。やっぱりオリンピックはすごいって思いました。結果として、すごいうれしいなと思う半分、自分の中ではやはり悔しいと思うところが結構あるので。オリンピックで金メダルを獲って言うのも何ですけど、ちょっと悔しいと思います」。
フリーは178・64点にとどまった。重圧からか、納得のいく演技はできず、観客に見せた笑顔も控え目だった。目指した世界一は遠のいたと思った。だが、直後に演技したチャンも、得点を伸ばすことができず、羽生はトップをキープ。「とにかく驚きしかなかった。うれしいという感情はなかった。自分の演技が悔しかったんで」と振り返った。
それでも、初出場の五輪で世界に衝撃を与えたことは確かだった。13日のSPでは国際連盟公認の大会で史上初の100点超えとなる101・45点をマーク。世界選手権3連覇中のチャンは97・52点。3・93点の差をつけ、プレッシャーをかけた。
昨年12月のGPファイナルに続き、王者チャンを破った。そして、自身が五輪を目指すきっかけとなり、憧れ続けてきたロシアの皇帝プルシェンコは、腰を痛めてSPを棄権し、引退を表明した。その皇帝は話していた。「金メダルの可能性が一番あるのは羽生さ」と。その“予言”通り、世代交代を現実のものとしてみせた。
この日で羽生は19歳69日。過去、五輪の男子最年少金メダル記録は、48年サンモリッツ大会を制したディック・バトン(米国)の18歳202日。この記録には及ばないものの、史上2人目の10代金メダリストとなった。
「金メダル、早く見たいですね」。この日のセレモニーでは花束だけだったため、まだ手元にないメダルを心待ちにしつつ、羽生は少しだけホオを緩めた。
※引用しました。
◇ソチ五輪フィギュアスケート男子フリー(2014年2月14日 アイスベルク・パレス)
完全に力を出し切れなかったという思いと最後までやり切ったという思い、そして現役最後の大舞台を終えた安ど感…高橋大輔(27=関大大学院)の表情には様々な感情が交錯していた。
SPに続きフリーでも冒頭の4回転ジャンプで着氷が乱れ、得点もパーソナルベストに20点近く及ばない164・27点止まりでは「出来としても成績としても満足がいくものではなかった」。昨年11月に痛めた左足は万全からは程遠く「自分自身精一杯できた」としながらも「これが自分の実力なんだなと、あらためて感じた」と涙ぐんだ。
それでも最後まで全力で滑り切ったことは財産になる。「自分自身もかなりきつかったですけど、気持ちだけはあきらめないで最後までやって良かったと思います」と一転穏やかな表情に。
1994年2月14日。7歳で初めてスケート靴を履き、氷の上に立った。それから20年後の同じ日、五輪の舞台で“集大成”の演技を終えた。
自身3度目で最後となった五輪を振り返り「悔しかったり辛かったりいろんな思いがあるソチでしたけど、でも自分にとっては最高のソチだったと思います」と晴れ晴れとした笑顔を見せた。
※引用しました。