goo blog サービス終了のお知らせ 

雄介食べ歩きBLOG

プロ野球開幕戦がめちゃくちゃ待ち遠しいです⚾
平手友梨奈ちゃんが大好きです(*´ω`*)✨
欅坂46も好き😍

水谷天皇

2014年02月16日 | 日記

4月に3年ぶりに公開される映画「相棒―劇場版?」の撮影現場が、ピリピリムードだ。テレビ朝日系の「相棒」シリーズでは、主演の水谷豊(61)の歴代“相棒”が次々と交代し、そのたびに確執が取りざたされてきた。もちろんこれは、劇場版のキャストにも反映されるが、映画の現場では「2度あることは3度ある?」のムードが充満している。人気シリーズ映画の現場で一体、何が起きているのだろうか――。

 製作スタッフが明かす。「撮影が予定通りに進行するかは水谷さんの気分次第。気分が乗らないと『やりたくない』と言って中断するのは日常茶飯事です。全員が“水谷天皇”の顔色をうかがってばかりで、現場は今までになく大変です」

 現在の3代目“相棒”の成宮寛貴(31)に交代した「season11」は視聴率も相変わらず堅調。最近の水谷の不機嫌の原因はどうやらその成宮だといわれている。

「2代目の及川(光博=44)さんを追い出し、成宮君を指名したのは水谷さんです。表向きは成宮君を食事に連れて行ったり激励しているが、成宮君は過去の“相棒”と比べるとどうしても演技力が落ちる。自ら抜てきした手前、外すこともできず不満をつのらせているのです」(同)

 実は、今回の劇場版をめぐっては「成宮君を出演させない案や、途中で殉職させる案もあった」(同)というのだ。撮影に入る直前の昨年4月には、成宮と同じ事務所に所属していた元俳優の田島優成(26)が寝坊で舞台をすっぽかし事務所を解雇された。

「娘・趣里の同棲相手だった田島に激怒した水谷さんに配慮して、解雇が決まったとウワサされている。成宮君をキャスティングしてもらった手前、いまの水谷さんには逆らえないということでしょう。成宮君は“相棒”というより“人質”という見方もある」(同)

 今作では、及川が昨年のスピンオフ映画「X DAY」に続き、特命係を舞台となる孤島に送り込む役どころで復帰。事情通によると「及川と檀れい(42)の仲人を務めた水谷が、その後の及川の女性スキャンダルを嫌って解雇した。でも、檀のワガママぶりを知った水谷が、及川に同情を示して復帰させることになったのです」。

 そんな新旧“相棒”の揃い踏みという話題性に加え、テレ朝開局55周年記念映画としても期待がかかる今回の作品。成宮にしても初の劇場版で大ハリキリというが、水谷のヤル気は一向に上がらない。

 系列局のスタッフによれば「これまでは、全国の主要都市を水谷さんと相棒でプロモーション行脚し、系列局は個別インタビューするのが恒例だったのに、今回はそういう話が聞こえてこない。こちらは宣伝のために再放送もバンバン流しているんですけどね」。

 このままでは3代目の交代劇も近い?
※引用しました。


1部復帰

2014年02月16日 | 日記

イングランド女子のアーセナルは15日、INAC神戸から日本女子代表DF近賀ゆかり(29)とエルフェン埼玉から同代表FW大野忍(30)を獲得したと発表した。

 近賀はINAC神戸を通じて「チャンピオンズリーグに出て優勝するということは、とても憧れで魅力的です。そんな夢を叶えられる可能性があるチームから今回オファーをいただき、チャンスを掴もうと思いました」と移籍理由を明らかにし、サポーターには「今まで応援してくださったファンのみなさん、スポンサーの皆さんありがとうございました。日本を離れて少し遠くはなりますが、引き続き応援をお願いします」とコメント。

 大野はエルフェン埼玉を通じて「自分も皆さんと同じ1人のサポーターとしてエルフェンを応援していきたいと思います。短い間でしたが、応援していただきありがとうございました」と感謝のコメントを発表した。

 近賀は日体大卒業後、03年日テレ・ベレーザに入団。リーグ4連覇を含む多くのタイトル獲得に貢献すると、11年にINAC神戸に移籍後も、リーグ3連覇を達成するなど、主力メンバーとして活躍した。12年12月には右膝前十字靭帯断裂の重傷を負うが、同年8月に復帰している。日本代表としても各年代で選出されていて、05年にA代表デビューするとこれまでに88試合に出場し、11年W杯では初優勝に導いている。

 大野は99年日テレ・ベレーザでデビューを果たすと、得点王を3度獲得し、最優秀選手に3度選ばれるなど、数多くのタイトルをもたらした。11年に澤穂希、近賀らとともにINAC神戸に加入すると、チームタイトルを独占して、自身は4度目の得点王に輝く。12年12月にフランス女子の強豪リヨンに移籍。13年7月、当時2部だったエルフェン狭山(現エルフェン埼玉)に加入すると、リーグ戦2位で1部復帰を果たした。日本代表としては119試合に出場し39得点を記録。優勝した11年W杯では、優秀選手に選出されている。
※引用しました。


インテル2連勝

2014年02月16日 | 日記

セリエA第24節が15日に行われ、日本代表DF長友佑都の所属するインテルは、アウェーでフィオレンティーナと対戦。2-1と競り勝ち、2連勝となった。

 長友は先発出場して、65分にアルゼンチン代表FWマウロ・イカルディの決勝点をアシストする活躍。86分に、イタリア人DFダニロ・ダンブロージオと交代するまでプレーした

 イタリア紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』は、同試合の採点を発表。長友には「6.5」(最高点10、最低点1)と高評価を与えた。

 同紙は、「ついに(ファン)クアドラードとのバトルをナガトモが制した。なぜなら、前半を通してクアドラードを“犬小屋”に閉じ込めて飼い馴らすことができたからである。なぜなら、(マウロ)イカルディへのアシストは、クアドラードが決めたゴールにほぼ値するものだからだ」と長友のプレーを評価。コロンビア代表MFフアン・クアドラードとのマッチアップを制したことに称賛を贈った。

 なお、インテルの最高点は先制点を決めたアルゼンチン代表FWロドリゴ・パラシオの「7」、最低点はスロベニア代表GKサミル・ハンダノヴィッチの「5」だった。
※引用しました。


銀メダル

2014年02月16日 | 日記

やっとつかんだ銀メダルだ。ソチ五輪のノルディックスキー・ジャンプ男子は15日、ラージヒル(HS140メートル、K点125メートル)の決勝が行われ葛西紀明(41)=土屋ホーム=は、1本目に139メートル、2本目に133・5メートルを飛び、合計277・4点。金メダルまでわずか、1・3点差の2位だった。

 伊東大貴(28)は9位、清水礼留飛(20)=ともに雪印メグミルク=は10位、竹内択(26)=北野建設=は13位だった。17日は1998年、長野五輪以来の団体戦での金メダルを目指す。

 ジャンプ界の生ける伝説、葛西が日曜日の朝に、歓喜と興奮を届けた。2本目を飛び終え、残るはあと1人。カミル・ストッホ(26)=ポーランド=の優勝が決まると、スキー板を雪面に突き刺して悔しがった。惜しくも金メダルは獲得てきなかったが、堂々と誇れる銀メダルだ。

 「いやぁ~、もうちょっとで、金に届きそうだったんですけど、まぁうれしい半分、いや、6-4くらいでちょっと悔しいですね」

 強風で試技(本戦前の練習ジャンプ)から、何度も何度も中断し、50人中30人が飛んだ時点で中止となった。いきなり本番を迎えることを強いられる難しい条件。だが、念願、悲願の個人戦でのメダルが決まった。

 これまでは1994年リレハンメル大会で団体戦の銀メダルだけ。「個人で自分の力ずくで取ったっていうメダルなので、20年前とは比べものにならないくらい、うれしいです」。心からの笑顔だった。

 98年の長野五輪は団体で金メダル。日本中が沸いたが、葛西自身は大会直前のけがなどでメンバー落ちしていた。その悔しさを糧にジャンプ生活を続けてきた。

 「うーん。7割くらいは(悔しさを)晴らせたんじゃないでしょうかね。あとの3割は、まだ団体戦も残っていますし、金メダルを狙えるくらい日本チームはレベルが上がっている。そこで晴らしたい」

 一番輝くメダルを手にするチャンスは、まだ残されている。
※引用しました。


プロレス引退会見

2014年02月16日 | 日記

13日、プロレスラー引退を発表した佐々木健介(47)が16日、自身のブログを更新し、プロレス人生とともにブログも一区切りすると報告した。

 佐々木は「今まで有り難う御座いました」というタイトルとともに「1986年2月16日後楽園ホールでデビュー戦をして、今日で丸28 年!」と記念日であるこの日を感慨深く振り返った。

 「自分のプロレス人生は、後楽園ホールで始まり、後楽園ホールで終わりました。そんな記念すべき日に、自分のブログも一区切りさせて頂こうと思います」と決断した理由を説明した。

 そして、プロレスもブログも支えてくれたファンに心からの感謝の言葉をつむぎ「文才がないので、気持ちの部分でブログをやらせて頂いていました」「元気いっぱいにブログをやらせて頂けたのは、皆さんの“優しい気持ち”を頂けていたからだと思います」と続けた。

 「これからは新しい“道”を探していきたいと思います」と前向きに語るも「本当は“道”を探してから、引退をする事が1番良かったのかもしれません………でも…不器用な自分でしたが、“太く短く”プロレス人生を生きられた事に満足しています」と健介らしさを漂わせ「昨年から頂いていた舞台の仕事はありますが、それ以降の事はこれからゆっくりと! そしてしっかりと!考えていこうと思っています」。

 最後は「ブログで皆さんと気持ちの交流ができた期間は…佐々木健介の宝物です!今まで本当に有り難う御座いました!」と最後まで感謝の言葉をつづった。

 佐々木のブログ「健介のドッカ~ンといこうよ」は2009年2月11日スタート。以来5年間、自身のプロレス興行である「ダイヤモンド・リング」や妻・北斗晶(46)と2人の息子たち家族との心温まるエピソードなどをつづり続けた。

 佐々木は13日、都内で行われたプロレス引退会見でも「もう満足。思い残すことはなにもない」と晴れやかな笑顔で振り返っていた。
※引用しました。