建武3年(1336)の湊川の戦いにおいて、南朝の名将楠正成を敗死させたという伝説が残る大森彦七という侍がいる。功績により讃岐国を与えられる。
この彦七が、伊予の国のある寺へ向かう途中、矢取川で楠正成の怨霊の「鬼女」に出くわしたという伝説がある(太平記)。
それをあつかった俄である。
〇男が、大きな布を頭にかぶった女を背負って出てくる。
男「さてもさても、えらい重たい。重たいぞ」
女「そっちは深い、こっちは浅いぞえ」
男「ほに、そなたは賢い。えらいなあ。えらいついでに思い出したが、大森彦七が鬼女を背負ったという話がある。どうもこのふわふわとした尻が怪しい。どれ、一度、顔を見てやろう!」
そう言って女を下ろし、かぶっていた布を取るとタコの頭。
男「さては、大タコに教えられて・・・浅瀬じゃなあ!」
※諺「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」
俄好きたちが多く集まるのは、遊郭があった新町近くの島之内・道頓堀、そして堀江界隈だったが、夏祭の頃は、どこの町どこの家も夜は御神灯をかかげて、夕涼みの床を出した。
どこもかしこもが俄の場となった。
〇「忌中」の張り紙がある家の夕涼みの床に、「俄じゃ」と書かれた提灯がつられていて、
そのの下に床几(しょうぎ=長椅子)が置かれ、
その上に「櫃飯(ひつめし=ご飯が入ったおひつ)とイカキ(=ざる)と豆腐(とうふ)が置かれている。
これが俄になっている。
しょうぎ・ひつめし・いかき・とうふ
しょうじゃひつめつえしゃじょうり
生者必滅会者定離(命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定め)
悪い疫病の流行によるつらい別れを、俄という笑いで、「悟り」に変える。
俄の本質には「笑い=滑稽性」がある。
※上図は『浪花百景』(大阪市立図書館アーカイブより)
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