事前情報なし、当日でも入館可ということで、大した事はないだろうと高を括っていましたが…
会場は押すな押すなの
大盛況!!
ロスチャイルド家など世界中のユダヤ系富豪から寄贈された名品を収蔵するイスラエル博物館
モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌなどがさり気なく展示されています
特に印象に残った作品は…
(写真はネット画像借用です)
ルノワール 「マントノン郊外」
写真はくすんでますが、実際見ると非常に明るい風景画
ルノワールの風景画って珍しくないですか…
ポール・ゴーガン
「ウパウパ(炎の踊り)」1891年
ゴーガンのタヒチシリーズの一枚ですが初見です
「ウパウパ」とはタヒチ語で音楽あるいは楽器を意味するそうですが、いわゆるファイアーダンスですね
19世紀になってキリスト教がタヒチに入ると、キリスト教に馴染まないとしてダンスは禁止になったそうです
特にこのファイアーダンスは煽情的と思われたようです
画面の右に幼子を抱く白人の男(に見えた)はゴーガン自身でしょうか?
撮影可能エリア
もあります
ポスターにもなっているこの絵は、蓮池に光が射している情景ですが、平面的画面に時間が止まったような不思議な感覚を覚える
フィンセント・ファン・ゴッホ 「プロヴァンスの収穫期」1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
「麦畑とポピー」 1888年
ポール・セザンヌ
「湾曲した道にある樹」
1881〜1882年
ポール・セザンヌ
「陽光を浴びたエスタックの朝の目覚め」1882〜1883年
ギュスターブ・クールベ
「岩のある風景」 1872年
今回衝撃を受けた、レッサー・ユリイの作品です
夕暮れ時、川でしょうか、池でしょうか、揺れる水面に映る人家の灯り
しっとりとした情感が漂い感性をしげきします…
この作品は本来展示予定は無かったようですが、ユリイに対する日本人の反応で追加展示されたそうです
その反応を
引き起こしたのが…
「夜のポツダム広場」1920年
この作品は、生で見ないとその衝撃は伝わりません
雨に濡れた舗道のしっとりとした質感、お店の灯りが舗道で揺れている…
「冬のベルリン」1920年代
モード画のようなスタイリッシュな画面
「赤い絨毯」1889年
後ろ向きに縫い物をしているご婦人
窓の光よりなんといっても画面の3分の1を占める赤が鮮烈な印象を残します
作者のレッサー・ユリイ(1861〜1931年)は、プロイセン王国(ポーランド)に生まれベルリンで亡くなった、ユダヤ系ドイツ人です。
「レッサー・ユリイの肖像」
ポール・シュレンサー
ユリイは、内向的で人間不信、晩年は隠者のような生活だったそうです
19世紀末にドイツ、オーストリアの各地で起こった「分離派」という芸術革新運動があり、ユリイはミュンヘン分離派に参加した。
クリムトのウィーン分離派が有名ですね。
ミュンヘン分離派はフランス印象派の影響が強かったようです。
さて、「夜のポツダム広場」はゴッホの「ローヌ川の星月夜」に触発されたものだと思いますが…
(まったくの直感です)
ゴッホ 「ローヌ川の星月夜」
1888年
この作品を見た時、川面に映る灯りが特徴的でしたが、水の質感が無く乾いた印象でした…
ユリイの「夜のポツダム広場」は、雨に濡れ、しっとりた舗道に揺らめく灯りがなんとも艶っぽい
傘をさす紳士方の行方が気になる
「夜のポツダム広場」は、1926年に発表され、1933年ベルリンに設立されたユダヤ博物館に収蔵されました。
ナチスの弾圧により1938年に博物館が閉鎖され、以降ナチスドイツの帝国文化院地下室に眠っていました。
1945年に再発見され、1965年イスラエル博物館に収蔵されました。
数奇な運命をたどった「夜のポツダム広場」
この一枚を見るだけで展覧会の価値があります。