五山の送り火で名高い大文字山。北は銀閣寺から南は若王子(にゃくおうじ)に至る約1.5㌔の琵琶湖疎水分流沿いの小径。もともと「思索の小径」と呼ばれていたが、近代を代表する哲学者の西田幾多郎(1870~1945)が好んで散策し、思索にふけったことなどから「哲学の道」・「哲学の小径」と呼ばれるようになった。
西田幾多郎は明治43年(1910)に京都大学哲学科の助教授に就任して以後、昭和三年(一九二八)に定年退官するまで、大学のすぐ近くに住んでいた。
道沿いに丸い形をした背の低い西田幾太郎の石碑が建っている。碑の表面には、彼の人生哲学である「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を 吾は行くなり」の文字が刻まれている。碑の建立は昭和56年(1981)で、石は少し赤みを帯びた鞍馬石。
沿道近辺には銀閣寺、法然院、安楽寺、永観堂等、名所・旧跡も豊富で、春には約500本の桜のトンネル、初夏にはゲンジボタルの乱舞、そして秋の紅葉と四季それぞれに美しさを持ち、琵琶湖疎水分流のおだやかな流れとともに道行く人を楽しませてくれる。昭和61年、「日本の道百選」に選定された。取材の頃は石楠花、つつじが咲き、水面に花影を映していた。
桜並木は日本画家・橋本関雪(白沙村荘)夫人が画伯の絵が売れた時に桜の苗木を買い求めて、当時は荒れ地の小道沿いに植樹されたという。
この琵琶湖疏水の支流は南から北へと流れているが、大津から京都まで疏水が開通した明治23年(1890)、京都の北部地域の灌漑 (かんがい) 用水路として開削された。
哲学の道は、休日は人の波であるが、平日になると人通りは少ない。木漏れ日の川沿の細道を歩いていると、土産物店の退屈そうな売り子さん、スケッチを楽しむ人、犬を散歩する人など、普段の京の暮らしに少し触れることができる。道沿いにベンチがあり、腰をおろしてせせらぎの水音を聞いていると、幼い頃に戯れた小川を思い出す。
「この道はいつか来た道・・・」、そんな郷愁を漂わせているところでもある。
所在地:京都府京都市左京区。
交通:JR・近鉄、京都駅より市バス5(銀閣寺・岩倉行き)、17(錦林
車庫行き)で銀閣寺道下車、東へ徒歩7分。
京阪電鉄出町柳駅より、市バス17・203・急行102(錦林車庫行き)
で銀閣寺道下車。
西田幾多郎は明治43年(1910)に京都大学哲学科の助教授に就任して以後、昭和三年(一九二八)に定年退官するまで、大学のすぐ近くに住んでいた。
道沿いに丸い形をした背の低い西田幾太郎の石碑が建っている。碑の表面には、彼の人生哲学である「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を 吾は行くなり」の文字が刻まれている。碑の建立は昭和56年(1981)で、石は少し赤みを帯びた鞍馬石。
沿道近辺には銀閣寺、法然院、安楽寺、永観堂等、名所・旧跡も豊富で、春には約500本の桜のトンネル、初夏にはゲンジボタルの乱舞、そして秋の紅葉と四季それぞれに美しさを持ち、琵琶湖疎水分流のおだやかな流れとともに道行く人を楽しませてくれる。昭和61年、「日本の道百選」に選定された。取材の頃は石楠花、つつじが咲き、水面に花影を映していた。
桜並木は日本画家・橋本関雪(白沙村荘)夫人が画伯の絵が売れた時に桜の苗木を買い求めて、当時は荒れ地の小道沿いに植樹されたという。
この琵琶湖疏水の支流は南から北へと流れているが、大津から京都まで疏水が開通した明治23年(1890)、京都の北部地域の灌漑 (かんがい) 用水路として開削された。
哲学の道は、休日は人の波であるが、平日になると人通りは少ない。木漏れ日の川沿の細道を歩いていると、土産物店の退屈そうな売り子さん、スケッチを楽しむ人、犬を散歩する人など、普段の京の暮らしに少し触れることができる。道沿いにベンチがあり、腰をおろしてせせらぎの水音を聞いていると、幼い頃に戯れた小川を思い出す。
「この道はいつか来た道・・・」、そんな郷愁を漂わせているところでもある。
所在地:京都府京都市左京区。
交通:JR・近鉄、京都駅より市バス5(銀閣寺・岩倉行き)、17(錦林
車庫行き)で銀閣寺道下車、東へ徒歩7分。
京阪電鉄出町柳駅より、市バス17・203・急行102(錦林車庫行き)
で銀閣寺道下車。