おはようございます。2023年6月24日(土)曇
昨日は10時40分頃家を出た。13時、魂魄の塔脇の沖縄国際反戦集会の予定地につき、13時30分から15時で終了。16時30分頃、自宅に戻ってきた(往路・復路は南部に入ってからは別コース)。車で行くと速い! 汗を掻かず、機動隊とやりあうこともなく、平和祈念公園を巡ることもしなかった。夜には「75(なご)ビール」を飲んで寝てしまった。
安直すぎる私の「6・23」。しかし、この沖縄国際反戦集会で、何が語られたのだろうか。ミャンマー・ビルマの人たちが来て、「私たちのことを注目してください」というのは、当然の叫びだろう。民主政権が軍部に潰され、民衆は貧困と差別と弾圧の中でくるしんでおり、その軍部を支えているのが自公政権であり、自衛隊(ミャンマー軍の演習を受け入れている)なのだから。
一方で、韓国から来た派遣団がこう叫んでいた。「宮古島を軍事拠点にするな!、戦場にするな!」と。これまた当然のことを叫んだのだが、妙に新鮮だった。いや、主催者にこうした意識がないことが、問われるべきなのだ。
実は彼女たちは、この2月にも沖縄に来ている。たまたま私が辺野古で居合わせて、私が説明をしたのだ。無論、与那国島・石垣島・宮古島の話しをかっちりと話したのだ。これがひとつの縁となって、宮古島に行ったのだろう。そして自衛隊基地前でコールを共にやってきたようだ。昨日も、彼女らの方から挨拶に来てくれた(私のフルネームまで覚えていてくれた)。
米日韓の軍事同盟が強化されていけば、その戦火は韓国の民衆に及ぶ。この3国同盟の主たる敵は、朝鮮民主主義人民共和国だろうが、一方で中国でもある。中国包囲網の一端に当たるのが、この3国同盟となる。戦争をやめろという叫びは当事者として、当然ではないか。私は全くそう思う。
40回目の沖縄国際反戦集会だと言うが、状況を見据える議論をしたのだろうか。それどころか、このお隣で進もうとしている戦没者の骨がそのままに、鉱山開発(土砂採取)が始まろうとしているのに、このことに一言もなかったのだ。この2年間、ガマフヤーの具志堅隆松さんらが沖縄県に申し入れて、保存するように求めたが、かなえられていない。この日も、隆松さんは、トップスピーカーの発言予定者だったが、こなかった。平和公園での行動があったようで、事情は分からないが、こなかったのだ。どうも情報交換すら、うまくいっていないようだ。
シンプルすぎた今年の6月23日。私の怠慢であることは否めないが、単純だったが故にみえてきたことがある。何故、沖縄県はこの6月23日を慰霊の日にしているのだ。この問いは、県外の反天皇制運動界隈では、ずっと議論されてきたことだ。32軍司令官の牛島らが自決した日だからなのだが、これはおかしなことだ。沖縄戦で多くの方々が亡くなったことと、牛島ら皇軍の現地トップの自決と如何なる関係があるのか。牛島らが降伏せず、首里の司令部を南部に撤退させ、糸満に陣を構え、突撃させ、挙げ句の果てに、自分たちは自決しながら、「最後まで戦え」との言葉を残して、あの世に行ったのだ。無責任男なのだ。否、「皇国の防衛」に生死を全うしたのだ。
あれから78年が経ち、私たち「日本国民」は、再び同じような愚を繰り返そうとしている。今度は天皇のためならぬ、米国のためにか。私は愚かな選択はしたくない。「6・23」を問い直していけば、様々な地下水脈が繋がって見えてくるだろう。
シンプルすぎて重い問いを得たようだ。