◎書き始めたものの、まとまらず、やっと書いた。ご覧いただきたい。(ヤマヒデ)
(1)この1月に明らかになった事件
①2025年1月9日の報道から
この日、沖縄タイムスに「米兵、性的暴行疑い」「本島中部 昨年11月 20代女性」とでた。2025年1月8日、沖縄県警が不同意性交致傷の疑いで海兵隊員を那覇地検に書類送検した。同日、県警は沖縄県に通報した。
(a)被害者は沖縄島中部の観光地で友人らと飲食店を訪れ、野外で一人になった際に見知らぬ男に声をかけられたという。飲酒の影響で記憶がはっきりしていないようだが、女性が気づいた時、その男と建物の中に居た。男が右手で女性の口元を押さえ、左手で首をつかんできたという。女性は抵抗したが、そのまま暴行されたと話す。直近で被害を警察に相談し、警察が取り調べたところ容疑者が浮かんだ。
②2024年6月に発覚して4件目
(b)昨年6月、2023年12月24日に起きた16歳以下の少女に対する空軍兵による自宅への誘拐、性暴力事件が発覚した。県警は被疑者を任意で事情聴取。24年3月11日、県警はわいせつ目的誘拐と不同意性交の疑いで那覇地検に書類送検。3月27日、那覇地検が起訴。外務省が米側に抗議。6月25日、地元メディアが報じ、初めて県、県民が知ることになった。事件発生から半年後のことだ。
(c)2024年5月26日、女性が米海兵隊員に首を絞められ性暴力を受け負傷。県警が不同意性交致傷の疑いで海兵隊員を逮捕。6月17日、那覇地検が同海兵隊員を起訴。6月28日、同事件を地元メディアが報道し、県が把握。
(d)6月下旬、女性が海兵隊員から性暴力を受け負傷。9月5日県警が不同意性交致傷の疑いで書類送検。県警が県に通報。
そして今回と立て続けに起(発覚)きたのだ。12月に県女性団体連絡協議会の呼びかけで開催された県民大会後も、米兵による性暴力事件は続いている。そして2025年1月23日、那覇地検は11月に起きた事件の被疑者を嫌疑不十分で不起訴としたのだ。曰く「収集した証拠関係を総合的に勘案した結果、不同意性交致傷罪の成立を認めることは困難だと判断した」(沖縄タイムス2025年1月24日)という。
③焦点は何を持って「不同意」と考えるかの判断だろう
11月の件は、確かに誘拐されたわけではない。女性が酩酊状態にあった時のことだ。もちろん密室での事件だから、被害者の声、加害者の声のどちらを地検が重視したかが、起訴・不起訴に反映する。不起訴決定だから、被害者の訴えは軽視され、矮小化されたのだ。被害者が検察審査会に申し立て、認められない限り、刑事事件としてはこのまま封じられてしまう。
問題は、こうした際の「同意」・「不同意」を如何に考えるかだろう。矢野恵美琉球大法科大学院教授(刑事法)はこう述べている。「酔って不同意が表明できないことに乗じれば犯罪である。(中略)そもそも二人きりで同じ空間に居ることは、性的行為に対する包括的な同意ではない。(中略)加害者と被害者のどちらの言い分に信用性があるかという判断が性犯罪に対する根本的な考え方の変革が求められている。そうでなければ不起訴、無罪が頻発してしまう。司法関係者に法改正の趣旨が浸透していることを強く願う」(2025年1月24日沖縄タイムス)。
本件は、女性が酩酊状態のまま、海兵隊員によって、ある建物の中に連れ込まれたところから始まったのだろう。そこに男の強制性があったことは否めまい。女性がNOと意思表示しても、男は相手の口を押さえ、首を絞めようとして押さえ込んだ。これでは明らかに不同意だったと推察できる。検察官は何をもって「不起訴」処分にしたのだろうか。明らかにするべきだ。
那覇地検は、度重なる米兵による不同意性交事件の顕在化を少しでも抑えたかったのだろう。日米政府を忖度したに違いない。
(2)米兵等の性犯罪を止めることはできないのだろうか?
①1月22日、11月事件に対する緊急集会が行われた
「米兵による少女暴行事件に対する抗議と再発防止を求める沖縄県民大会」実行委員会は、25年1月22日、那覇県庁前でこの11月の事件への怒りの声を上げた。約250名が集まったという。実行委員会の伊良波純子共同代表は「これまでの政府の対応は何だったのか。何の後ろめたさも感じずに私たちの抗議行動を受けていた。本当に腹が立つ」「リバティ制度(米軍は01時から05時を外出禁止にしているという)も、彼等が言う綱紀粛正も何の効果も発揮していない。私たちは諦めることなく抗議を続ける」と改めて宣言したようだ(25年1月23日沖縄タイムス)。
私たちは「なかったことにしない」思いをどこまで広げ、つなげることができるのだろうか?
②性暴力の重み(打撃力)をひとりひとりが考えよう。
こうした事件はいつまで続くのだろうか? 私たちは止めることはできるのだろうか? ひとは「性暴力事件」と聞いた時、私たち(男性)はどこまで想像できるだろうかが問われている。殺人事件ではあるまいと高を括ってはなるまい。だから具体的に考えよう。
この11月に起きた事件の被害者は、こう語っている。「恐怖がよみがえり、しばらくの間は眠れなかった。異性と接することに緊張感を覚えるようになって仕事を休みがちに。最近遂に退職せざるを得なかった。今後の生活への不安もある。身体を傷つけられたという痛みは、今も心から離れない。長時間にわたる県警の取り調べでも、『死にたい』と思う日々が続いたが、周囲の支援もあり、なんとか乗り越えてきた」(25年1月24日沖縄タイムス)と語り、訴え出たことに悔恨の情も漏らしている。
人間は心の生物なのだ。身体と頭だけで自分を制御できない。心が大きく絡み合う。性暴力は身体と心と頭を内部から打ち砕くものだろう。「けれど、心に刻まれた傷跡は消えない」(ジェーン「自由の扉―今日から思いっきり生きていこう」お茶の水書房2009年5月刊)の一言は重い(因みに本丸ごと1冊がそうした重さから脱却を図ろうとした苦闘の記録)。彼女はオーストラリアの女性で、2002年4月に米空母の海軍兵からレイプされた。沖縄に何度も足を運んでおり、絆の大切さを伝えている。
③性暴力は私たちの遠くにあるものではない
性暴力は身近にあるものだ。性暴力に満ちた文化が身の回りにあふれている。現に性暴力を含めた性犯罪は日常茶飯事だ。新聞の紙面にあふれている。多くは小さな記事だが、ほぼ連日あふれている。自分の欲望だけを中心に考えていれば、善悪の判断すら埓外に置いていないか。他者を考えられないのではないか。また、孤独だからこそ妄想に走る。それも「強者としての男」は、支配欲を満たそうと、性暴力を行使するのだろう。
質が悪い。だからこそ、男は怪しげな「理性」を制御しうる心が必要だ。人間は痛みを痛みとして感じる心が、受け止める心が求められる。同時にまっとうな理性が歪んだ心を糺す事も必要だ。しかしそうした性を巡る理性と心を真面目に話しあう、学び合う機会は殆どない。
(3)軍隊・兵隊とは何か?
①米軍に要求すべき事は何だろう
米軍は本気で性暴力を根絶する意思を持っているのかと私は問いかけたい。「深夜外出禁止」などの制限を課しても、そんなもので今のような事態はなくせない。頭の転換だけでは、なくせない。心身の改革なしに、なくせまい。
②軍隊とは?
軍隊とは侵略と差別の頭で、人を殺し、自然や文化を破壊し、他者を他国を支配するものだ。国際法で大量破壊兵器を禁じただけではなくならない。ジェノサイド(大量無差別殺人)を禁じても無視される。軍隊は「強者」が「弱者」を支配するのが当たり前という独善が横行し、武力支配が貫かれている世界だ。兵隊は敵を撃ち殺すことが「任務」とされている。人々の基本的人権を打ち壊す「職業」と言って過言ではあるまい。だからこそ性暴力と軍隊の論理と心理は大いに合致しているのだ。
(4)ひとまずのまとめ
考えるべき事は山のようにある。私たちが日々生きている中で、性暴力に通じる諸々を問い直すことが重要だ。そして、米軍に問いかけよう。基本的人権を守らない軍隊が、「良き隣人」だと如何なる顔をして言っているのだろうか。私たちは、その真相を探り続けなければなるまい。
◎それにしても日本政府の相変わらずの馬耳東風ぶりも甚だ嘆かわしい。
◎それにしてもこうしたことを私たちは基地撤去の日まで続けなければならないのだろうか。
◎私たちは性暴力を生み出さない、許さない沖縄を作り出したいものだ。