おはようございます。2023年4月15日(土) 曇
ベルリン共同が伝えるところに拠れば、ドイツは2023年4月15日、稼働中の最後の原発を止め、電力供給をゼロにするとのことだ。2011年3月11日の福島第1原発の核事故以来、ドイツがG7で最初の原発ゼロの国となった。今後は再生可能エネルギーをさらに拡大していくそうだ。
おめでとうございます。私はドイツ政府のこの決断に敬意を表します。また、福島事故のご当地日本国が同様な措置を執ることを要求する。お陰様で沖縄島・琉球諸島に原発は一基も造られていないという、「日本一安全な場所」です(ちゃん・ちゃん)。
それにしても、この日本国は何故にこうした政策転換ができないのだろうか。ドイツができ、何故日本国はできないのか? 考える力の差だろうか、物事を深刻に捉える能力の差だろうか。一度決めたことはどうにもとまらないのだろうか。民主的な規制が効かないからなのだろうか。
何故沖縄には原発ができなかったのだろうか。この問いに答えることは案外重要なことではなかろうか。核というものは取り返しの利かないものだ。核反応が起き始めたら、それを如何に管理するのか、反応を止めても核の危険は止らない、収まらない。この例証となるのが福島第1原発事故後の実態を見れば明らかだ(忘れてはいけません)。
沖縄は基地の島であり、そんな半永久的に危ないものをこれらの島に固定したら、どうなるか分からない。琉球諸島を戦場にする陣容が今正に整えられつつあるが、原発がなくて良うございました。日本政府は、20世紀末にもこうするつもりだったのだろうか。妙に理性が効いていやがる。
否、そんな難しい話しではなく、電力市場が狭いから、無理して造る必要がなかったのだろう。
私たちがバカなままでは、「文明」なる奢りに騙される。オレオレ詐欺みたいな奴だ。「俺だよ、俺」みたいな文明からの悪魔の囁きに弱いのではないか。私が生きている諸関係の中に、生きることを疎外する、押し殺す因子を見つけ出し、生きうる関係・環境をつくりだすのがエコロジストの本領だろう。
大事故の当事国政府が学ぶことが弱く、遙かヨーロッパの国が「脱原発完了」という皮肉。しかし核廃棄物の処理で言えば、次世代に悪夢の遺産を残してしまうのが現代文明だ(罪深いのだ)。
日本では、帰還せよ、汚染水を海に垂れ流す、汚染残土を全国各地にばらまくという姿勢が鮮明だ。日本国民は、こんな国家にいつまでつきあうつもりなのだろうか?! 放射性物質は目に見えず、速攻で危険を痛覚できないから、「利益」優先に流される。「利益」とはなんであるのかを私たち一人一人が考え直すしかないだろう。
私たちは、国家と国民の関係を問い返せば、国家の僕である「国民」であってはならないことも想起できるはずだ。では如何なる「民」であるべきなのだろうか。
原発も戦争も誰かさんの『利益』という謎の因子に深くとりつかれている。複雑に思えるが、そうでもあるまい。