ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

思いこみは危険だ(20220510)

2022年05月10日 | その他の論考

 おはようございます。嫌なニュースが折り重なっている。心はどんどんブルー(憂鬱)になっていく。「プーチン氏 侵攻正当化/戦勝記念演説『戦争』は宣言せず」と沖縄タイムスの一面にある。彼が言う「特別軍事作戦」は『戦争』ではないと。総攻撃を仕掛け、学校を爆撃してもだ。自らの武力攻撃を正当化する手口は万国共通だ。因みに昔の皇国=大日本帝国は『○○事変」といっていた。あげくに「大東亜戦争」などと空威張りし、もろにナショナリズムを鼓舞しながら、「五族協和」を歌いあげた。矛盾の極みだった。

 私が嫌になるのは、市民への攻撃が正当化されているからであり、特に「戦勝記念日」の演説を腹立たしく思う。戦勝記念日とは独ソ戦(1941年6月から45年5月9日)勝利記念日。確かに当時のソ連(政権)にとって、ナチスドイツを打破したことは記念に値しよう。しかしそれが武力攻撃を正当化し、過去の戦争の亡霊に依存したプーチンの政治に重なっているようだ。歴史を検証することのない歴史権威主義。歴史修正主義とも裏表の関係だろう。

 はっきりしてきたのは、民主主義のないところでは、常に暴力(『武力攻撃』を含む)は正当化されていくということだ。ロシアも米国も日本も皆同じ。そして、歴史貫通的なのだ。

 「武力攻撃」を「暴力」に含めて私が考えたいことは、万国共通という視点ばかりか、ジェンダー平等という視点を外せないと考えるからだ。やっぱり男は権威主義。男権主義だし、男根主義を免れない。よほど自覚し、自覚しぬかなければ。女性たちからの批判を浴び続けなければ、なるまい。

 「内面の自由」を取り違えると、支配欲を培養していく素地を拡大しかねない。私も心したいことだ。

 ロシアへの戦争批判の一方で、国内では、「敵基地攻撃能力」「反撃能力」だなどと、一周遅れの議論が公に語られ始めている。改憲を先取りする壊憲攻撃だ。しかし、我が身を省みない批判は、かえって危険。

 それも世界最大の武力国家米国と連めば安泰かのように錯覚していることに、私は愕然とさせられる。錯覚とは恐ろしい。例えば原発54基がある日本を叩くのに核攻撃は不要だ。原発を数基でも破壊すれば事たりる。こんなことにすら想像力が働かない(安穏としている)連中が日本の政治を握っているのだ。

 まして「島嶼防衛」=琉球諸島を先端の基地として戦う事態(対中戦争)のことなど、想像できないのだろう。冗談じゃない!

 参議院選挙が迫ってきた。先の衆議院選挙で負けた野党。負けたからと共闘路線を隠蔽しさらなる負けを準備したいのだろうか。立憲民主党の半端な政治。大資本労組中心の連合にすりより、共産党との共闘からも手を引きたいようだ。最小限の候補者一本化を残しているが、このままでは、ほぼ無に帰すだろう。こんなんで、一人一人が本気で闘えるのだろうか。

 昨秋、絶好のチャンスを逃した野党共闘。各党、各人が何故勝てなかったのかを検証しているのだろうか。自公の岩盤を叩きわることは、何故困難なのか? 根本的に市民は、自律心を欠いており、いつまでも依存したがっているのだろうか。疑心暗鬼になる前に、私たちが動くしかないようだ。対話のスペースを確保し、議論を積み重ねていくしかないだろう。

 私は『命の営み』だと語ってきた。繰り返すが、「命」と「暮らし」に分離されず、ひとつながりのダイナミズムだと考えること、如何なる権威主義にもおもねない一人一人の歩みからしか始まらないと考えたい。私が絶望を先取りしてはいけない。これは大問題なのだ。

 泣いても笑っても次の参院選が焦点となる。ここで各地で各地の問題をリアルに突き出すことが、ひとつの突破口となるだろう。沖縄はどうするのか?! 各地で、自分と他者を考えながら前に進もう。 

 



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