今日は憲法記念日ですね。おめでたいのか、おめでたくないのか、わかりませんが。しかし戦後の若者達(私の世代)がベトナム戦争などに狩り出されなかったことは、大変オメデタイことでした。これは明らかに日本国憲法があるからでした。この問題についてはまた後で書きます。
ここのところ私は原稿書きにおわれています。4月に入って、15日から4本目。昨日も、昨夜もこれからもそうです。課題を与えられたり、与えると大いに勉強になります。昨夜もこれは自説を大いに修整しなければならないと思っているところです。あぁ、大変。どうしても人はこれだと思うと、これだになりがち。多角的な検討がおろそかになる。もっと面倒なことは、人間の没論理的なところ。論理だけで物事が動くならば、予想がつくし対処もできますが、これは難しい。
菅政権がオリンピックに突っ込むのも、1941年12月の「大東亜戦争」と称して太平洋戦争に突っ込んだのも没論理。そんなのが政治やっていたしやっていることが、恐るべき事です。ですからこの《論理と没論理》を両方みなければならない。これは正に今日の課題です。
また私が悩まされていることは、感情的な人間の問題。こうしたことに突き動かされる私たち人間は本当に難しい。人間は感情的な動物だから芸術も生まれたし、愛もある一方で、憎もあり。色々と人間の機微をみつめながらやっていかないとダメなのだとこの歳になって思う日々です。
相手を責めるばかりで無く、自分を批判に晒す勇気(豪胆さ)を持たないとダメですね。昔の内ゲバ政治もそうでした。「俺等が正しい」の傲慢さ。人間の悲しい性だと見つめるしかない。そんなことを考えている5月3日朝です。