先日の選挙結果で、野党が多数になったと言われている。数字上はそうだが、保守系野党が伸びたことが大きい。自民党はだめだから、国民民主党や立憲民主党に票が流れた。今度の最大の争点が自民党の「裏金問題」だったと言われているが、これを暴露した「赤旗」の発行元の日本共産党の議席が10名から8名に減っている。何だか理屈に合わない。この理屈に立てば、当然増えて然るべきだった。このギャップは何かと言うことを同党は考えるべきだ。私も考えたい。
10月28日の記者会見で田村智子委員長は、赤旗が大きく焦点をクローズアップしたのに、組織的な問題があったかのような事を述べていた。組織的な力量の低下はあるのだろうが、それだけだろうか。多面的な総括が必要だろう。
なお私は長年日本共産党とは距離をとってきたし、批判的な人生を歩んできた。沖縄と係わりだして、共産党を無視できないと考えているが、組織に縛られたくないのだ。そんな私だが、気づいたことを記させていただく。
①共産党は街宣で「自由と平等」の横断幕を掲げていた(神奈川県横浜市と東京都新宿区で見た)。私もそうだろうと思う。しかし「自由と平等」が一般の有権者に届いていないのではないか。素通りされてしまう。もしも個々人が自由と平等を大切だと思っていれば、安倍政権が誕生することはなかっただろう。新自由主義に流れたり、ナショナリズムに流されてきたのだ。不安定雇用が増え、中小企業が系列化され切り捨てられていくと、人は自分に自信を持てなくなる。そこがナショナリズムに煽られる原因だろう。
「自由と平等」が形而上学的なスローガンになっているのではないか。そこを一人一人が取り戻さない限り、言葉は浮いてしまう。このギャップに肉薄できる政治が求められている。
②個々人の立ち位置と組織の立ち位置
私などは、組織を好まず、だからダメなところがある。一方、日本共産党は、組織的な決定とそこに動かされる党員がいる。組織と諸個人の溝を洞察し、カバーしていかないかぎり自分事にならないのではないか。問題は正しい方針があれば、解決するわけではないだろう。個々人の自発性と共鳴し合ってこそ、動き出す、力になることがある。
これ以上言うとお叱りを受けるかも知れない。共産党は、党組織の改革を経て、開明的になってきたと、私は考えているが、まだ足りていないのだろう。党内外からの批判を如何に受け止め、前に進めるのか?
私は「批判のための批判」を言いたいのではない。議論できる場を広げていきたいと考えている。