ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】沖縄4区かられいわ新選組が山川仁(ひとし)さんを擁立すると(230627)

2023年06月27日 | 暮らしと政治

 2023年6月26日15時かられいわ新選組が沖縄4区に山川ひとしさん(48歳―前豊見城市長)を擁立すると記者会見した。私はこれをネット配信で16時頃見聞きした。チャレンジャー山本太郎が投げたボールは沖縄社会の中に如何なる波紋をもたらすのだろうか。如何なる政治を生み出していくのかが問われているだろう。

【記者会見要旨】
    冒頭発言した山川さんは、これまで豊見城市長として玉城デニー知事を支えてきた、市民が希望を持てる政治をれいわの積極財政を押し出すことで、進めたい。特にこどもが安心して豊に暮らせる政治を追求したいと語った。無論、辺野古新基地建設に反対していくし、琉球諸島への基地化に反対していく。
 これを補って、山本太郎同党代表は、沖縄4区の候補者は未定だし、我々がだしてはならないいわれはないはずだと踏み込んだ。(立憲民主党はこれまで3区と4区に候補者をだしてきた。)まだ議論は全くされていないと。

註:沖縄4区=石垣市・宮古島市・糸満市・豊見城市・南城市・宮古郡・八重山郡・島尻郡(与那原町・南風原町・八重瀬町)有権者数約29万7000人(22年9月1日現在)

【この立候補声明は、唐突だが、時代の流れに、変革を求められていることも事実だろう】
 お二人の話しを聴いていると、不透明で、私はまだ不安が残る。一方で、オール沖縄の制約を突破する議論がなされることを大いに歓迎したい。2012年から14年にかけて作られた41市町村長等の団結は辺野古新基地建設反対とオスプレイ撤回の2点に留まっており、基地問題すら米日同盟・自公政権に追いつけていないのだ。ようやっと対話外交に舵を切った玉城県政が転換の兆しを示しているが、自衛隊問題となると明らかに弱い。
 山川さんの兄・山川泰博さんは「維新」の政治家であり、今回も立候補するようだ。「維新」と「れいわ」は真逆の位置にあるはずだ。「兄弟関係は仲が良い」と、ひとしさんは受け流していたが、兄弟関係だからと政治と分離してはならないだろう。山本太郎は、維新と立憲民主党にくさびを打ち込む姿勢を明確にしていた。野党第一党だった立憲は、今国会で維新と組んだり、防衛法案に賛成したり、実に危うい。これは沖縄の立憲民主党だからこそ、旗幟鮮明にすべきと、私は主張したい。党中央にとっくにもの申していなければならないはずなのに、やっていなかったことを山本太郎は見抜いていたのだ。
 
【これからの課題】
 ただし、私は無条件でれいわを支持する立場ではない。今日の米日同盟、特に自衛隊への評価など、まだまだ曖昧だ。特に沖縄4区は石垣島や宮古島など「島嶼防衛」のど真ん中にある選挙区であり、真っ先に戦場にされかねない場所・選挙区だ。ここで「子どもたちの」主張を押し出すためには、積極財政のみならず、米日安保政治と正面から向き合う以外にないはずだ。国連の「旧敵国条項」だけで突破することは不可能だろう。また急患の搬送などを自衛隊に頼り切ってきた沖縄県の歴史の中で、県営ヘリを一機も所有していない。県警ヘリも警察庁から受託運営しているものであり、パイロットの養成ひとつとってもお寒い限りだ。
 「沖縄本島」―「先島」という差別の構造を曖昧にしたままの政治を正面突破していくほかにないはずだ。
 
【オール沖縄会議は明確な回答を示すべきだろう】
 ところで、沖縄立憲民主党やオール沖縄会議(関係諸団体)は、この記者会見を知ったら、慌てているだろう。ここはお互いに冷静に議論し、最大公約数=一致点を探し当て、前進していただきたい。軍事に依存しない地域からの外交力・地域づくりを高めていこう。新しい政治勢力に脱皮する契機は、「れいわ新選組」からの風によってもたらされたが、彼らだけで担えるものではない。もっと開かれた関係を作りだし、根っこを育まなければ立ちゆかないだろう。「沖縄を再び戦場にさせない」のは、一部の党派的利害ではできないだろう。お互いに後悔先にたたずの教えを忘れないでいただきたい。
 まさに今、次の衆議院選(日時未定)、24年県議選の結果が、正念場となることは、私が言うまでもないことだろう。賢明な判断と、じっくりとした討論を避けて通れまい。(2023年6月27日)

【追記】
 れいわ新選組は、6月23日の慰霊の日に当たって、「6月23日を沖縄戦の組織的戦闘が終わった日」と記していますが、こうした曖昧な表現では、この国がやってきた非道と嘘を見抜く事はできません。6月23日あるいは22日、牛島32軍司令官らの自決は「最後の1兵まで戦い抜け」という遺言を残したものであり、部隊の解散、散発的な抵抗の中で、追い詰められた多くの人々が殺されました。沖縄の住民を盾にした非道な「皇国の防衛」が残した傷は余りにも深い。
 新たな軍事化が進められている今、過去事と現在を両睨みした分厚い視座が私たちに求められています。



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