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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

60年ぶりに歩いた益子(191122)

2019年11月27日 | 旅の記録
2019年11月22日 曇りのち雨
 焼き物の里・益子に来たのは約60年ぶりのことだ。まだ小学校に上がる前から2,3回来たのではないか。父親に連れてこられたのだが、濱田庄司さんやバーナード・リーチさんらとお会いしている。陶芸の集まりだった。無論、自分は、その周辺で無邪気に遊んでいただけだったと思うが、かすかな記憶は残っている。
 今回の益子行きは、回想の旅以上のものではないが、自分自身、焼き物だとか、広い意味で民芸に興味を持ち続けているので、たまには見たいと思ってのことだ。
 
 益子駅に下りたのは、8時30分頃。駅前には特になにもない。こっちだろうと歩き出す。
写真屋さんのウインドウ。カメラと陶器と16ミリ映写機。骨董品ばかりだ。8:56
暫く歩くと、
紅葉が。9:09
城内坂を右折し、里の景色に近づく。
9:20
たき火の煙が風情を醸し出す。9:21
こちらは木を燃やしているようだ。特段どうと言うことはないのだが、 9:23
手袋が欲しくなる寒さだった。
柿の実り。懐かしい。9:27
天気が悪いから、良い写真を望むのは殆ど無理。

軒下に咲く菊。9:29
左の畑は大根。9:31
大昔の記憶がよぎる。春の日差しに、畦道にレンゲソウが咲いていた。
やはり沖縄の11月と全く違うから、関東の11月を探し出したい。9:40
地味な中にも華やかさもあるものだ。
小川にカルガモが流されていく。流されているのではなく、ご本人は楽ちん移動なのだろう。9:46
11時頃から雨が降り出した。

この後、益子参考館に行き、浜田庄司さん(1894-1978)が集めた数々の作品や彼自身の作品をたっぷりと見た。
彼はこう書いている。
「京都で道をつけ、
英国で始まり、
沖縄で学び、
益子で育った。」と。
そうだったのか。確かに沖縄のものや、沖縄風のものが色々あった。私は、ここで一杯沖縄と再見できた。
浜田庄司、柳宗悦、河井寛次郎の3人の写真もあった。
朝鮮の白磁の壺3点は圧巻だった。柳が瞠目したと言うが、さもありなん。
展示作品の中に、私の記憶にあるものが数点あった。当時の記憶なのか、事後の書籍から見たものか定かでないが、確実に再会したのだ。
登り窯を見た。これこれ、60年前には熱く燃えていた。この登り窯で焼き物を焼いていたのだ。一度火をつけると何日もの徹夜の大仕事だと聞いた記憶がある。

◎益子参考館HP

補足ー庭も建物も美しかった。しかしここも2011年3月11日、被災していたのだ。私は全く知らなかったが、一部の建物や、展示物も、破損した。


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