ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【補足】登山者がいない、挨拶もしない清里ー小海線沿線③(20240722)

2024年07月24日 | 旅の記録

2024年7月22日(月)晴れ

小海線清里駅へ。

清里駅、10:34

それにしても昨日今日と、登山者がいない。ハイカーも。

清里はただの観光地だが、登山者が小海線に乗っていないとは、不思議。

清里駅を出ると、これがあった! SLのC-56だ。

観光案内所に荷物を預けた(200円)。助かりました。

清里バレエの祈念のオブジェ。顔の中にあなたも顔を出せば、記念写真が撮れる。10:51

C-56の149号。昔これに引っぱってもらいました。ピカピカに蘇っている。素晴らしいとただただ感動しています。1967年、1968年頃の記憶。

Cとは駆動輪が3組の機関車。10:51

やや下から。10:52

10:53 あちこちから。

10:56 ぴかぴかです。石炭を燃やして、水を蒸気のエネルギーに変え、エンジンを動かす。単純な物理学。

余りシツコク撮っているのも何なので出発。

美しの森方面へ。

森の中にキノコ。11:20

10:23 木陰にある。太陽光が入る瞬間に撮る。雲と風の揺れで微妙に変わる。

上を向けば。11:37

アサギマダラです。11:44

私は1968年の夏の妙高高原で見たのが最初。琉球諸島にもおります。旅をするチョウチョで有名。

懐かしくもあり、アサギマダラが今の私を導いてくれたのか?

そしたらこれが。

上からマクロレンズで。11:49

マクロ効果満点。カミキリムシの仲間が交尾中。11:50

抱きつき方が迫力満点。大きさは3cmぐらい。

アジサイの仲間。12:09

12時過ぎている。早く飯にしよう。

車道から山路へややくだる。清泉寮に向かいます。12:19

清泉寮広い。食べるところはどこだ。レストランがお休みで、ややしょぼかったが、コロッケ饂飩。

南東側。奥秩父の金峰山。13:30

懐かしいが、山小屋で殺人事件が起きて、私は金峰山と瑞牆山には行っていない。山小屋の親父が人を殺したらいかんだろう。もう大昔のことだから知っている人は少ないだろう。

金峰山の東側。奥秩父連山。山の名前を全然覚えていない。情けない。13:31

今の私の頭の中は沖縄の地形が詰まっている。取り替えてくる時間が無かったのだ。

反対側の甲斐駒ヶ岳(右のおおぶりの山)など。13:31

ここも登った。

左下の窪地が北沢峠。左側が鳳凰三山。懐かしすぎる山々だ。

以上の3枚はPL(偏光)フィルター使用。

甲斐駒。13:32

高原なのに涼しくない。

アイスクリームとソフトクリーム(別の場所で)も頂きました。

13:35

13:36 昔ならば、あの山は何と即答できたはず。忘れた!

PLフィルターでお楽しみください。

もう美しの森に行く時間が無い。下りましょう。

テラス。清泉寮(キープ協会)牧草地。14:58

カッコウやホトトギスが啼いていた。

右の奥が茅が岳。私は冬の茅が岳にも登った。

ここにカブ・スカウトみたいな団体がいた。大人も含めて挨拶を返してこない。

時代は変わったのだ。人間のソサエティが崩壊している。これでは戦争を止めることはできないだろう。自滅への路しか残されていないのか。どうしたら打開できるのか?!

本日すれ違った人たち全員の問題です。挨拶しても空を切るばかりだった。

ここから下りる。

車道に出て、

八ヶ岳方面を振り返る。15:34

清泉寮ありがとう。15:47

小海線の踏切を渡る。CATがいるようだ。

そんなシーンを撮りたかった。15:52

16時ちょい過ぎに観光協会に戻り、荷物を引き取る。

小諸方向の列車が来た。16:52

16:52

私の転記ミスで予定していた列車がなかった。凡ミスだ。

ということもあり、各駅で「高尾」まで戻った。

お疲れさまでした。



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