◎本稿は「沖縄の怒りと共に」(うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民連絡会)第115号(20210510発行)に寄稿したものです。一部の写真を再掲します。山本英夫
Ⅰ:はじめに
沖縄防衛局は、昨年4月、新基地建設のための「変更承認申請書」を沖縄県に提出した。Ⅰ年以上が経ち、知事判断は年度をまたいだ。この国は基地建設の工事をコロナ禍でも止めていない。
玉城デニー知事は、『不承認』とするだろう。この国は、「辺野古が唯一」としか言わず、県を提訴してくるだろう。私たちは、この重大な局面に立たされている。私たちはどうしたら対抗できるのか?!妙案は浮かばない。しかしはっきりしていることを高らかに訴えよう。「『辺野古が唯一』の果てに、普天間基地返還はありえない」ということを。
普天間基地駐機場。ここにはオスプレイとヘリが駐機しているが、普天間基地は2800mの滑走路をもつ飛行場だ。米日政府は、辺野古にはオスプレイとヘリ等の離発着ができればいいとしており、そもそも普天間基地の代替能力はない。(20210427 撮影ー山本英夫)
ⅡSACO合意とは何だったのか?
初めに再確認しておきたい。「普天間飛行場を返還する」と謳った文書は1996年12月の「SACO最終報告」だ。私はもういちどこれを読み直す。
「沖縄に関する特別委員会(SACO)」は、95年11月、日米両国によって設置された。96年12月2日の同最終報告の冒頭に「両国政府は、沖縄県民の負担を軽減し、それにより日米同盟関係を強化するために、SACOのプロセスに着手した」とある。
当時の沖縄は95年9月4日に米国海兵隊員による少女レイプ事件が起き、また、ほぼ同時期に米軍基地のための土地収用をめぐり反戦地主との間で、市町村長、沖縄県知事を巻込みながらのつばぜり合いが続いていた。1972年5月15日以来の沖縄の闘いの高揚を前に両国政府は譲歩を迫られた。こうして96年4月12日、橋本首相とモンデール大使は、普天間基地返還を打ち出した。しかしこれはマヤカシだった。 4月17日の両国首脳による「日米安保共同宣言」(安保再定義)は、冷戦後の時代を受け、世界大に広がる安保体制の強化を打ち出した。これが基調となり、SACOの協議が進んだのだ。
そこで最終報告を読む。「実施されれば、沖縄県の地域社会に対する米軍活動の影響を軽減することになるだろう。同時に、これらの措置は安全及び部隊の防護の必要性に応えつつ、在日米軍の能力及び即応態勢を充分に維持することになろう」とある。内容は、土地の返還、訓練・運用の方法の調整、騒音軽減イニシアチブの実施、地位協定の運用の改善が謳われたが、25年後の今も負担軽減になっていない。後段の「在日米軍の能力及び即応体制の維持」が本筋だったからだ。
普天間問題では、「普天間飛行場の重要な軍事的機能及び能力を維持しつつ」返還と移転を検討してきたという。その実務は「技術専門家のチームにより支援される日米の作業班(普天間実施委員会―FIG)を設置して検討する。決定事項は、①普天間のヘリコプター運用機能の殆どを移転。滑走路は約1500m。へリコプター部隊、短距離で離発着できる航空機の運用も支援できる能力。②空中給油機12機の岩国への移転、③嘉手納飛行場の追加的な整備、④緊急時(有事)に必要となる代替施設の緊急時の使用の研究。⑤「今後5年乃至7年以内に、充分な代替施設が完成し運用可能になった後、普天間飛行場を返還する」とある。
ここから読み解けることは、そもそも代替機能の完成が前提であり、新たな基地に普天間基地の代替機能はないのだ。「準拠すべき方針」の説明にこうある。「海上施設の滑走路が短いため同施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性(戦略空輸、後方支援、緊急代替飛行場機能及び緊急時中継機能等)は、他の施設によって充分に支援されなければならない」と。
普天間飛行場は、嘉手納飛行場の緊急事態対処計画の柔軟性を補完しているのだ。普天間基地を必要としているのは米国海兵隊にあらず、米国統合軍(陸海空海兵隊の統一司令部下に動く軍隊)が必要としているのだ。
米軍は「代替基地」ができなくとも、普天間基地があれば全く困らない。この能力と有事の際の柔軟性の代替機能は、那覇空港だと目されているが、有事=戦時の代替機能は軍民共用空港では不都合もおき、那覇空港を巡る調整は困難だろう。
Ⅲ:「日米同盟:未来のための変革と再編」から「ロードマップ」へ
「安保再定義」を経て、2005年の「日米同盟:未来の為の変革と再編」は、アフガン戦争、イラク戦争、日本のイラク派兵を経た上での再編構想であり、公然と「日米同盟」(実は米国主導の「米日同盟」)を打ち出している。
重点分野に「日本の防衛及び周辺事態への対応」「国際協力活動への参加を初めとする国際安全保障環境の改善の為の取り組み」を掲げながら、日本国・自衛隊を集団的自衛権の行使に方向付けるものであり、米日両軍の一体的運用-米日共同・「統合運用体制」に再編していくものだ。
私は、こうした軍事に於ける戦略的再編を度外視した外見上の「負担軽減」論はまやかしだと指摘したい。ここでは普天間問題を中心にみる。「変革と再編」にこうある。「Ⅲ.兵力態勢の再編」の「Ⅰ,指針となる考え方」に「アジア太平洋地域に於ける米軍のプレゼンスは、地域の平和と安全にとって不可欠であり、かつ日米両国にとって決定的な重要な中核的な能力を提供する」。一事が万事この調子であり、「負担軽減」の動きは完全にかき消されている。続いて「再編及び役割・任務・能力の調整を通じて、能力は強化される。これらの能力は、日本の防衛と地域の平和の安全に対する米国のコミットメントの信頼性を支えるものである」と沖縄の要求とは真逆な方向を向いている。繰返しになるが、米日共同、統合軍の一体的運用、沖縄―日本全体の基地再編を進め、なおかつ沖縄・グアム・ハワイなどへの基地機能の再分配を記しており、アジア・太平洋全域での運用を見据えている。そもそも在沖・在日米軍は「太平洋統合軍」(司令部:ハワイ。今日では「インド・太平洋統合軍」)の一部なのだ。
そして普天間の移設が遅れているが、「普天間飛行場代替施設は、普天間飛行場に現在駐留する回転翼機(ヘリコプター)が、日常的に活動をともにする他の組織の近くに位置するよう沖縄県内に」と「辺野古が唯一」の固定化を確言し、従来の「沖合案」から「沿岸案」への変更を決定した。2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」はこう述べている。冒頭に移設に伴う建設費は基本的に日本政府の負担だとあるのだ。
「沖縄における再編」で、普天間代替施設をこう述べている。①辺野古・大浦湾にV字型滑走路2本。それぞれ1600m。前後に2つのオーバーランを100m(計200m)。②略、③2014年完成、④移設は「同施設が完全に運用上の能力を備えたときに実施される」⑤普天間飛行場の能力の代替することとの関連で、空自新田原基地(宮崎県)、同築城基地(福岡県)の改善の実施、⑥「民間施設の緊急時における使用を改善するための所要が、2国間の計画検討作業の文脈で検討され、普天間飛行場の返還を実現するために適切な措置がとられる」⑦工法は原則として埋立て。⑧「米国政府は、この施設から戦闘機を運用する計画を有していない」とある。この計画が現行計画となっている。
関連して、沖縄の海兵隊(各級司令部)のグアム移転(約8000名など)を打ち出し、移転経費の日本政府の一部負担を約束。また、土地の返還(SACO合意を準拠)とキャンプハンセンと嘉手納基地の日米共同使用を謳っている。さらに、「全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている」と釘をさしている。
普天間基地を守るための看板が宜野湾市道のガードレールに取り付けられている。米軍が市の施設を使用し、こうできるところが、如何にもだ。米軍・沖縄防衛局・宜野湾市の共犯によるものだ。どう考えても米軍のフェンスに取り付ければ済むはずだ。(20210427 撮影-山本英夫)
Ⅳ:さてどうするのか?
1996年から2006年までの概略しか追えなかったが、改めてこの問題の奥深さを知らされる。基地とは「スタンデング・ベース」だということだ。常に臨戦態勢を保つことを軍隊の使命(有事即応体制)としているのだ。この機能がそもそも「普天間代替施設」といいながら、辺野古に計画されていない。これを民間飛行場に設置しろ、できなければ普天間返還はないと米日両国首脳(2プラス2)が確認しているのだ。
こうなると、私たちが使っている、沖縄の玄関口である那覇飛行場は、有事即応体制に組込まれる。今ですら自衛隊3軍が駐留している軍事拠点の上にこうなるのだ。私たちはこれらの危険性をリアルに考えるべきだ。那覇飛行場に米軍機が入るとなれば、対空ミサイルも強化されるだろう。まして那覇基地は「島嶼防衛」の一角に位置づけられている。全沖縄県民のみならず、多くの日本国民が、外国観光客がこうした危険を負わされる。
軟弱地盤の問題もあり、新基地建設の完成は困難だ。その分、予定されている基地機能の不備が完全に解消されない限り、半永久的に普天間基地の返還はありえない。その決定を握っているのは米国政府なのだ。
私たちは、こうした見通しを立てながら、はっきりと主張したい。このままでは負担は軽減されない。もしも新基地ができても普天間基地もなくならず、演習の負担は北部にシフトするだけだ。那覇飛行場への米軍の利用を許さない。新基地建設を絶対に造らせない。
この絶望的な状況の中で私たちが見据えるべき事は何か? 軍隊は住民を守らないということであり、命どぅ宝ではないのか。このことを私たちは日本中の人々に、アジアの人々に発信し続けたい。「大国が決める正義」に惑わされてはならぬ。(2021年5月3日)