昨夜から、やや気持ちが落ち込み、ブログ書けませんでした。今朝も。辺野古にてあるグループに話をしてきました。基礎がしっかりしている人達なので、話すの楽。今後の見通しを述べました。皆さんの気持ちを最後にダウンさせましたが、ここから起ち上がらなければならないと。
ザッハリッヒ(冷徹)な見通し抜きに私たちは前を向くことはできません。今後この問題もこのブログにも書きましょうね。今朝は、72年5月15日の次のステージについて考えていました。私が17年間も沖縄にブランクができた理由は何だったのかと。明解に分かりました。これも必然だったのです。悔しいし、沖縄の皆様に、申し訳ないです。「5・15」の第2回は72年~92年の20年を考えます。
何をやるためにも、「私とは何者なのか?」を考えないと前に進めない。人間性とは「社会的諸関係の総体である」と喝破したカール・マルクスですが、この認識は正しいですね。恐ろしい存在論・認識論ですが。卑しいのも人間、残虐なのも人間、優しいのも人間、愛すべきなのも人間です。人間性の復権とは社会を変えることなしに不可能です。だからこそ、そのための契機を掴めるか否かが、この試金石として問われているのです。
そして午後、別の方々とお会いしました。言いたいこと言える関係は、本気で嬉しいです。議論する中で、自分の弱点も見えてきて、そこを掘り下げるべしとかも分かる。不十分であることに臆することなく言える関係は大切です。学びあうことなしに前に進みません。
帰ってきたら、先日書いた掲載誌が届きました。今から載せます。
今日言い忘れたな。ひとり一人が「自分の地図をもつべし」だと。ひとり一人が思考の軸を描くこと、ここから(日常の地平)どうみえるのか、沖縄にもどこにも繋がる地図。これは簡単にできませんが、極めて重要です。そして時間(歴史)軸です。空間と時間が繋がれば、鬼に金棒です。鬼は帝国主義本国から排斥される側ですが、私たちは何処に立っているのか? 「中心」ではなく、「周辺」の自分の位置が重要です。「周辺」から「中心」を包囲していきましょう。