おはようございます。去る2月9日米軍による一連の上陸訓練が終りました。また、10日にはパラシュート降下訓練を撮りに行くなど、疲れた。ところでこの国では、森喜朗なる人物が話題を独占していますね。辞意がでたのが、2月11日の建国記念日で、これは偶然でしょうか。私には分かりませんが、交替したのがまた似たもの同士らしい。日本サッカー協会元会長で選手村村長の川淵三郎氏だと。83が84歳に代わりました。
オリンピックをやるやると言い張るじいさん達。「やる」ことと「やれる」事の違いも分からぬ奴らが騒いでいるのがこの国の実情。また「やる」にも「やれる」にも、女性差別の是非は、問わないようだ。今回の交代劇は首のすげ替え以下。しょうがないから誰か後継者はいないかのお友達人事。やめざるをえなくなった男が自分でみつけてきたのだ。
私は昔からスポーツは嫌い。性に合わない。集団主義だし、競争主義だし、権威的だし、根性丸出しだし、国家主義だから。こうした傾向がジェンダーフリーを生み出す訳がない。選手の皆さんが努力していることを否定しないが、このままオリンピックをやりたいと言うことを私は明確に否定する。コロナ禍のオリンピック開催が如何なる負荷をもたらすか、考えて戴きたい。選手個人が、今オリンピックを叫ぶのは、我がままに他ならない。良い記録を出したいのはわかるが、叶わぬ夢となることもあるのだ。全世界の人人が耐えているときに、アスリートには特権があるというのはおかしすぎる。スポーツも個人レベルでやっていれば、こんなことにはならないはずだ。国家に囲われたスポーツは、ダメでしょ。
わがままな連中がのさばる国になったということだ。これが「戦後日本国」の76年目の現実。他方でジェンダーフリーの風が吹いてきた。漸くだけど。ここは変わるチャンスだし、変えるチャンスだと私は思う。しかしこの変化を活かすべきなのは、女性ばかりじゃない。男自身が変わらなければダメでしょ。重石を女性に載せておいて、男は頑張れ-していてはダメだ。男は何をすべきなのか考えたい。昔(1980年代だったかな)、「行動する女たちの会」があったけれど、「行動する男たちの会」は聞いたことがない。
朝の目覚めが悪かったけれど、この2,3日書きまくります。