今年1月27日に沖縄市宮里で起きた事件について、私は、事件直後に3回、当該警官への特別公務員暴行陵虐罪での訴追後の11月2日にも記事を書いてきた。私がこれだけ拘るのは、理由がある。ひどい怪我を負わせた責任追及もあるが、警察組織への不信と、今現在の時代状況への危惧である。
そう思っていたら、沖縄タイムスが11月17日~「向けられた『暴力』ー高校生失明事件」を書いている。その1回目のメインタイトルが「『警棒伸ばし巡回』指示」であり、サブタイトルは「不適正職務最悪の結果に」「幹部ら不問に疑問の声」だ。
当時私は沖縄署や現場近くをわざわざ出かけて確認してきた。また、当時の沖縄タイムスの記事を読み込み、当該警官の行為を推定して見せた。図星だったようだ。今回の記事で私の目が点になったのは、「事件発生時、上からは警棒を伸ばした状態で警邏に当たるよう指示があった」というのだ。過剰警備を行えとの指示だ。事件発生の前日、暴走バイクの若者らが警戒中のパトカーにのぼりをぶつける事案が発生していたという。
前夜の暴走バイクが犯したかも知れない事案を持って、深夜バイクに乗っている人を見たら、誰彼となく「無法者と思え」という指示はいかなる法的根拠を持っているのかを、沖縄県警本部長は明らかにしなければなるまい。まして今回の事案は集団での走行中ではない。単独走行であり、暴走行為でないことは一目(一聞)瞭然である。こうした事実認定は基本中の基本のはずだ。
警察官にも様々なご苦労があるだろう。危険を伴う場合もある。だからこそ、事実関係の把握は最大の眼目でなければならない。有形力を行使できるのが警察官らであり、だからこそ、法定手続きが課されているのだ。やたらと殴るな、逮捕するな、発砲するな。
事実関係の把握ができないまま今回の警官は、一方的に警棒で殴り、高校生を失明に追い込んだ。上司の「警棒を伸ばして巡回せよ」は、明らかに警察官職務執行法の原則に反する。警官が「やっていいこと」を逸脱しているのだ。市民がバイクに乗っていました。若者だ。「やばいかもしれない」との予断が起きる。警棒を振り上げていた。
警察官が警察官職務執行法を知らなければ、モグリである。体得していなければ、警察官失格だ。しかし上司も知らない、組織が知らないのではないのか。でなければ、初めから「警棒伸ばして巡回」を指示できないはずだ。警棒を伸ばしてもつことは、相手に対して威嚇になり、持つ側は、バトル・スタンバイになってしまうだろう。事実関係の認定よりもこれが先に来ることはあってはならないのだ。
同法は、第1条が目的、第2条質問、第3条保護、第4条避難等の措置、第5条犯罪の予防および制止、第6条立ち入り、第7条武器の使用、第8条他の法令による職権職務だ。本件に重ねて考えたい。普通に走っているバイク(走行者)を警官が職務質問したり、制止することは不可なのだ。第2条を示す。「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者、または既に行われた犯罪について(以下略)」職質できるのだ。こうした要件を吟味したことがあるのかとすらわたしは疑ってしまう。
第5条の犯罪の予防および制止も「犯罪がまさに行われようとするのを認めたとき」だし、第7条の武器の使用も「警察官は犯人の逮捕、若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため」に、限度内でできるのだ。
本件の場合は、2条、5条、7条のどの条文にも該当しないことは明らかであり、すべてバツだ。
因みに、警察官職務執行法は、1948年に施行されており、日本国憲法の趣旨に則って定められたものであり、基本的人権を第一義とする社会にあって、国家の暴走を止める意味合いがあることは、歴史を振り返れば容易に理解できる問題だ。
沖縄タイムス(20221117)が言う「幹部ら不問に疑問の声」はまったくそのとおりである。わたしは、組織をあげての是正が求められていると考えている。今後の裁判経過にも注目していきたい。