2024年12月28日(土)曇り ② 泡瀬干潟(地形図で判断するとここは北中城村だ)
9:39 潮が引き干潟が出ている。
私は、右と左に立つただただ2つの物質を追っていたのだ。しかし今改めてみると、沖縄島にも干潟があるのだった。
私も泡瀬干潟の埋め立てを知ってはいたが。
9:42 この陰からカモメ類が飛び上がった。小型のカモメだった。
沖縄島でカモメ類を見ることはごく希であり、私は思わず望遠レンズをだした。
9:46 沖合から飛んできたカワウ。
9:48 飛び上がってこない。
ここへ一人の歩行者が足を止めてくれた。私の2つのカメラセットが目にとまったらしい。
ナンミリですか?
何をとっているんですか?
あれですが(上記の)、今カモメが居たんです。飛び上がるのを待っています。
あれとは何かを説明したので、新基地建設の話から、沖縄の軍事力の強化まで、一通り話した。そしたら、彼は、私に同調してくれ、1972年5月15日以降の沖縄の経済開発に対する批判を始めた。それは沖縄に「本土資本」が席巻しているからだと、相づちを打つ私。沖縄の文化があったからこそ沖縄の「命どぅ宝」が伝わってきたのだと彼は力説していた。
うちなーんちゅである彼は、私をヤマトンチュと知りながら、30分以上に亘って、話し込んでいった。
彼が離れた直後に飛び上がったカモメ。
10:15 何だこれは?! 若鳥っぽい。
10:15 尾翼の端が黒帯。目の後ろに黒斑。風切り羽が黒と灰色。帰宅後、図鑑を調べてズグロカモメだと識別できた。
全長32,5cm。ユリカモメより小型とあり、まさにピタリと一致する(ユリは全長40cm)。分布は華南。台湾、九州・琉球諸島。
見て、粘って、撮って、良かった! 私はズグロカモメと2度目の出会いになった。
泡瀬干潟もまんざらじゃないようだ。知らないで、ごめんなさい。
10:15 また見えないトン袋の陰に下りてしまった。
私も歩き出した。
10:25 あの串は何だ
10:30 私も浜に下りた。干潟といっても、私が知ってる干潟と感触(足ざわり)が全く違う。サンゴの海の干潟だ。潜らない。
これはアーサだ。
10:36 アーサの養殖漁業区だ。佐敷中城漁業協同組合がやっている区域だ。
10:45 季節外れに咲くハマオモト。
11:01 泡瀬干潟のど真ん中に埋め立てが進めている進入路。この先に何が造られるのか曖昧のまま今も工事が進んでいるようだ。
自然破壊をやめろ! これは沖縄市の事業だが、共犯者多数のようだ。
私の干潟は東京湾千葉県にあった新浜(しんはま)だった。私は「新浜を守る会」の結成メンバーだった(1967年ー高校生の頃)。あれから、悲しき58年が経つ。