◎長年の仲間たちが開いてくださいました。心置きなく懇談できました。ありがとうございました。
◎以下のレジュメから論点を幾つか出して議論しました。
◎無断転載・改竄禁止!
「6/8交流会レジュメ 再会・再出発のために(2023/06/08)」
(1)定かでないことー「米日安保」と「沖縄」を問い直す
①私の歩み― で、どうだったのか?
●1972・5・15:1972年8月-11月の相模原戦車搬出入阻止闘争の経験―1989・5・5~8日:「安保を見る旅」沖縄へ
◎1967年-72年のベトナム反戦の渦中で見たことが遠ざかる中で
◎(3行省略)
◎「沖縄に行けば、安保が見え」たのか?
◎2013年10月から沖縄暮らし
➁「安保」と「沖縄」を巡る動きを振り返る(●が米日政府の主な動き ◎私のトピック的な動き)
●1990年 「湾岸危機」
●1991年1月17日-4月10日「湾岸戦争」
●1991年4月26日 海上自衛隊ペルシャ湾に掃海艇派兵-10月30日
●1991年 ソ連崩壊
●1992年8月10日 国際平和協力法(PKO法)施行
●1993年3月25日 イージス艦「こんごう」竣工
●1995年5月19日 沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置法成立
●1995年9月4日 米兵3名による少女レイプ事件、沖縄の女性たちを中心とした怒りの爆発
●1996年4月12日 橋本・モンデール会談「普天間基地返還」大嘘「合意」演出
●1996年4月17日 米日「日米安全保障共同宣言」(「安保再定義」)
●1996年8月28日 最高裁駐留軍用地特別措置法による代理署名についての職務命令訴訟判決
大田昌秀知事敗訴
●1996年12月2日 SACO(沖縄特別行動委員会)合意
◎1997年9月5日 空母インディペンデンス小樽入港抗議活動等を追っかけ・撮影
●1997年9月23日 米日新ガイドライン締結
●1997年12月19日「中期防衛整備計画」見直し(1996-2000)
●1998年3月11日 輸送艦「おおすみ」竣工(「しもきた」2002,「くにさき」2003年)
◎1998年-2000年の間 「おおすみ」の追っかけ・撮影
◎1998年7月、1999年7月「北方機動演習」おっかけ・撮影
●1998年11月15日 初めての陸海空統合演習(硫黄島)
●1999年8月25日 周辺事態法等施行
●2000年7月21日-23日 森喜朗首相を議長に沖縄サミット(名護市等)が開催。日・米・英・仏・伊・カナダ・ロシア・EUが参加。「沖縄=平和」を打ち出しながら。
●2001年9月11日 米国本国への同時多発攻撃
●2001年9月12日~自衛隊・機動隊による在日米軍への警護が抜本的に強化―沖縄へ! 沖縄は「危険」だと観光客・修学旅行のキャンセルが続いた。
●2001年11月2日 テロ対策特別措置法等施行
●2001年11月25日 同法に基づき、海上自衛隊インド洋・ペルシャ湾に派兵
●2003年3月20日 イラク戦争
●2003年秋から04年2月(出発の期間) 陸海空自衛隊のイラク派兵
●2003年6月6日「武力攻撃事態法」など3法成立
◎ イラク派兵追っかけ(北海道へ)
●2004年3月 「西部方面普通科連隊」(長崎県佐世保市相浦)発足―水陸機動団の前身
●2004年4月17日 小泉政権、辺野古新基地建設に着手。
○ 命を守る会、住民・市民が座わりこみ。
●2004年6月14日 武力攻撃事態法関連諸法「国民保護法」等可決成立
◎2004年7月 辺野古に通い出す
●2004年8月13日 普天間基地のCH-53沖国大に墜落・炎上。米軍が1週間に亘って校内を占拠
●2005年10月29日 日米安全保障協議委員会(「2+2」)「日米同盟:未来のための変革と再編」合意。
●2006年5月1日 日米安全保障協議委員会が「再編実施のための日米ロードマップ」合意。
●2006年 秋口 小泉政権、沖合案断念。沿岸案へ(現行案へ)。
◎その頃 「グアム再編」にもかかわらず継続する意図を考え、そこに自衛隊がやってくると確信した。
●2007年1月9日 防衛庁から「防衛省」へ昇格
●2009年4月 日本政府ジプチ共和国と地位協定を結ぶ(2011年から日本国の恒久的な海外基地)。
●2009年7月19日 民主党代表鳩山由紀夫が新基地建設について「最低でも県外」を主張
鳩山は首相就任(2009年9月)後、撤回。外務省、防衛省の官僚ばかりか党内の反対を説得できず。
○2010年1月24日 名護市長に稲嶺進当選
●2010年5月29日 岩国飛行場新滑走路運用開始
●2010年12月 菅直人政権、「防衛計画大綱」で「動的防衛力」「島嶼防衛」を打ち出す
◎2011年6月 与那国島・石垣島・宮古島に通い出す。
●2012年1月27日 護衛艦「いずも」起工式(15年3月25日竣工)ヘリ空母―F35B空母への道
●2012年4月16日 石原慎太郎都知事が「尖閣諸島」を買い取るとぶち上げた。
○2012年9月9日 オスプレイ配備反対沖縄県民大会
●2012年9月11日 野田政権、尖閣3島を国有化。
●2012年、13年 米軍、普天間基地にオスプレイを強行配備。
○2013年1月28日 オスプレイ配備反対東京総行動―『建白書』要請行動
●2013年4月5日 安倍政権、「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」公表
●2013年4月28日 安倍政権、「主権回復の日」式典強行。
◎2013年10月13日 ヤマヒデ、名護市に転居。
●2013年12月17日 安倍政権、「国家安全保障戦略について」制定。「防衛計画大綱」改訂
●2013年12月27日 沖縄県知事仲井真弘多が新基地建設関連の埋め立て承認願書を「承諾」
●2014年7月1日 安倍政権、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と臨時立ち入り制限区域を閣議決定。
○2014年7月17日 シュワブゲート前で座り込みを始める。
○2014年1月 名護市長選稲嶺進再選。
○2014年11月16日 沖縄県知事選翁長雄志が当選。
それから9年の後の今、私は…。
◎「基地の島沖縄」の克服と反安保を重ねてやりきってきたか?!(継続して取り組むべき課題)
●安保を総合的に捉えることは難しい。―米国本意の構造―軍事ネットワークを総合的に捉える。軍事機密の陰に遮られ。
●反安保と、沖縄への構造的差別
●安保と、軍事機密・経済的な収奪・自治の否定
●日本国による沖縄に対する取扱(「併合」-「復帰」51年目も変らない)
●米日地位協定により米国優位が裏付けられている現状。
●「島嶼防衛」から「台湾有事」に備えるとする対中包囲網の最前線で
など問題が山積みー具体的に検討し、議論を深めていきたい。
(2)「島嶼防衛」の狡猾さと、私の誤謬について(皆様と共有化しておきたいこと)
①「島嶼防衛」の流れ
1996年 「日米共同宣言」
1997年 米日ガイドライン
2010年 防衛計画大綱―動的防衛力
2013年 防衛計画大綱―統合防衛力
2015年 米日ガイドライン抜本改訂
2018年 防衛計画大綱―多次元統合防衛力
2021年 米国「台湾有事」を煽る。米日の煽りの中で
2022年12月16日 「安保3文書」閣議決定
2023年5月19日-21日 広島サミット
➁現況
●「安保3文書」による敵基地攻撃能力など、「平和国家」の衣を鉄兜の上に載せ、米国の核抑止力(核の傘)に依存したまま軍事国家へ邁進。
●「島嶼防衛」論は、集団的自衛権と個別的自衛権の実験場。島々を危険にさらすことで、戦争を起こしやすくする。米日同盟の分担と連携の強化が進む。
●与那国町・石垣市の首長は右翼。住民が声を上げづらくなっている。
●軍事網は、琉球諸島から全国へ繋がっていく。米国の指揮・命令を待ちながら。
●米国主導の軍事国家へ(「従属国日本」の深化)ー岸田(自公)政権は、人々を軍事産業&原発産業と心中させるつもりか?!―人々の命の営みの復権(展望)と合せてトータルに批判しなくては、私たちは、生き延びることはできまい。
●戦争への道は、差別・排外主義を煽りながら。
●歴史から学ばぬ者は、滅びる(私たちは、その線上にいる)」
●「国家・国民」という従属性と向きあわなければ(「長いものに巻かれ」ない!)、克服できない。―何が問題なのかを問い、考え、議論する文化を大切に育もう。
③私のこだわり
◎「本島」「先島」としない。「○○島」
◎「琉球王国」などと捉えない。シマジマ。
◎「南西諸島」とは呼ばない(琉球弧)。旧海軍測量部が植民地支配を意図した呼称。中央から見た「南西」―シマジマ中心主義を貫こう。
◎「米軍=悪玉」、「自衛隊=善玉」論を超えない限り先は見えない。
◎島々に軍事拠点が形成され、軍事が突出し始めている。島々を超える連帯と連携を。
◎「抑止力」で壊されるのはシマンチュであり、島の自然と文化。
◎自治と独自文化の復興
(3)沖縄の今を考える(「再併合」の現状認識)
①オール沖縄会議の問題点(「建白書」に11年間固着し、島々の軍事化に対抗できず(やっと脱皮する動きが出てきた)。註:別紙参照(転載に当たって省略)
➁基地と中央依存の経済構造の克服
③「戦場にしない、させない」をシマジマを超えて、沖縄を超えて手を取り合えるのか?
(4)そして私は今
◎写真を撮る人(2021年8月1日から)
◎不戦・軍事フォトグラファーの役割―時空を押さえ沖縄の人々の、人民の可能性を探る。
○空間(陸・海・空の空間)
○時間(歴史を想像させるもの)―過去・現在・未来を巡る歴史認識
―「もし○○したら」を意識的に働かせる(過去を絶対化させたら諦めと破滅しかもたらさない)
◎「活動家」風に言えば、「東京の闇」と「沖縄の闇」を共に超える連携を築きたい。(以上)