ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【タイトル訂正】そうだよ、そうなんだ(20230616)

2023年06月16日 | 考え直すために

 ここ数日悩ましいことがあり、此を真剣に考えなければいけないだろうと、私は考えていた。ここで、その問いを明言することは差し支えるので、書かないが、答えだけ書いておきたい。

 私は何者か? この問題がベースにあるのだが、私がどこにいる(暮らす)かで、異なってくる。最近、改めて世間を騒がしたこの国。「難民」申請するような「輩」を焼いて食おうが、煮て食おうがかまわないとするこの国。人権最低国家。国際法ド無視国家。そんな国家に合わせて生きるという【不自由】を私は選択しない。LGBTQ+の人たちもそう思っているだろう。差別を許容するか否かは、人間の尊厳に関わる重大な問題だ。「尊厳」などと言う大文字を持ち出さなくても良い。国家が足かせになるとき、私は如何に生きるのか? それはこの国の歴史から学ぶ必要がある。

 私は立場のいかんに関わらず、名護市に暮らしている限り、沖縄県に暮らしているかぎり、日本に暮らしている限り、アジアに暮らしている限り、地球に暮らしている限り、戦争はお断りだし、差別はお断りだ。色々と入り組んだ問題があるのだが、解きあかしていく以外にない。もっと、もっと、もっと繋がれるはずだ。

 私は今を見ようと思う限り、過去を振り返り、明日を見たい。明日は、明日の、明日の、明日の、少なくとも5年、10年先まで。そう考えれば大きな答えは一つであり、夢も希望もすてずに生きられる。そこに参加するか否かではない。そこに参加してもしなくても、私は私。参加する場合の態度表明は考えなければならないが、参加しなくても別の形で態度表明(留保の可能性を置いておく)していくことになる。

 もっとも分断工作は、簡単になされるが、繋がることは容易ではない。なかったことを、私は承知している。だからこそ、繋がるための志と、方法論と地道な取り組みが重要だ。人間はせこいから、ちょっとしたことで、不信を抱く。その隙に痛手を被る。実行力がものをいう。実行力を築き上げていこう。一歩一歩積み上げていくしかない。一人一人はちっぽけでもさ、私は国家を基準にしないのだ。



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