おはようございます。今朝はすっきり晴れている。2024年12月9日(月)朝。
7日、8日と、出かけてきました。久しぶりに(沖縄に来て初めて使ったか?)、カメラザックを使ってみた。もう20年以上前に買った代物だが、カメラ屋で買った逸品。外形の割に、ブツが入らないので(保護帯がしっかりしている)、長い旅には不適。1泊2日程度ならば、軽快だと再確認できた。左右・上下のバランスが良い、上下2段に分かれているので、取り出しが容易。これならば、カメラの取り出しが素早くでき、即応性抜群。ただ、大分痛んできたので、補修は必要だろう。使えるブツはまだ使おう。
直ぐ出せるのは、便利というだけではない。出そうか出すまいか迷うことがなくなるのだ。ぱっ、ぱ、といく。体力的にも精神的にも楽だ。
7日は、南風原(はえばる)ピース・ウォーキングに参加し、1944年12月に起きた軽便鉄道大爆破(積み荷の弾薬が爆発、さらに周囲に野積みされていた弾薬に連鎖)事件・事故のことを学んだ。210名がなくなったとされている。昨夜帰宅後に、沖縄タイムス(2024年12月8日)を見たら、この記事がでていた。同写真に、私も小さくだが、はっきりと写っていた。新聞、テレビ局がしきりに取材していた。80年前の現場だから、わからなくなっていることが多いだろうが、地形や大きな樹木などは概ね変わっていない。軍隊が鉄道(県営)を利用すると、そこまで安全性を損ねるのか、強烈なインパクトがあった。
そこから那覇に出たのだが、バス待ち90分。小雨降る中、頑張った。バスは時刻表通りきたので、助かった。私は周辺の地理を十分に弁えていないので、バスがどこを通るのか、興味深かった。
7日夜の宿は、いつも道に迷い、彷徨うのだが、普段と反対側から行った(バス下車の関係で)が、暗くなっていたのに、逆にスムースに行けた。これで迷わなくなるだろう。道を覚えるのは、周囲の諸関係を覚えることと一帯で覚えない限り(線としてでなく、面として記憶する)うまくいかない。
8日は航空自衛隊のスカイフェスタ。その前に、那覇軍港により、HOS・Resolutionの所在を確認した。予想通りいた。ぱっと撮った。だが午後バスで通過した際は、居なくなっていた。日曜日の午後からおでかけか。どうもホワイトビーチに移動したようだ。スカイフェスタを2カ所から撮ったが、私の思惑は外れた。残念。しかし、軍民共用空港で、如何なるフライトを見せるのか、興味深かったのだ。これはある程度わかった。戦闘機が、ガガガと縦横無尽に飛んだら、民間機は危なくて飛べなくなる。空港管制が如何に行われているかが問題だ。さすがに編隊飛行やきりもみ飛行時は、民間機の動きは止まって(止めて)いた。だから軍用機の飛行は限定的だった。
フェスタだからこうできるが、有事にはこうはいかない。軍事優先、那覇空港が危険に包まれていく。「スカイ・フェスタ」と称して、軍隊を人々に、子どもになじませていくあり方を私たちは、批判していかねばなるまい。軍事力で私たちの命の営みは守れないからだ。軍事力が守るものは、国家の都合だけだ。私たちは衣の下の鎧を剥ぎ取らなければならない。
15時過ぎのバスで沖縄市に移動。佐渡山豊の「トラ・トラ・トラ」コンサートを聴いてきた。彼は12月8日が誕生日だという。生まれながらにして反戦派だったということは、ありえないが、コザ(沖縄市)の町に暮らしてきて、感じるところが大だったのだろう。一貫した姿勢に、私は拍手を送りたい。
追記:7日金武町のキャンプハンセン付近をバスで通過中(8時53分頃)、右(北)側に得たいがわからない黒いブツがみえた。あいにくの雨。じっとみていたら米国海兵隊UH-1ヘリが北へ上昇中だった。直後に同じくCH-53輸送ヘリが低高度で金武湾(左)から進入してきて、右旋回。ほぼ同時にAH-1攻撃ヘリが東から西へ、低空を駆け抜けた。3方向から3機がキャンプハンセン演習場(周辺)で展開したわけだ。
場所は漢那(かんな)ダムから金武(きん)ダム辺り。漢那・城原(しろはら)・中川あたり。高速道路の北側(アバウトに)がキャンプ・ハンセン。金武湾から、金武湾へ出入りすれば、集落や畑がある場所だ。2機は低空だったから、私は脅威に感じた。
8日21時30分頃、沖縄高速石川インターから金武インターの間で、金武湾に浮かぶ土砂運搬船と思われる10数隻の光が見えた。確実に増えている。金武湾は波穏やかで、待機・休養する場として、良い条件だと理解するが、土砂搬出が宮城島(金武湾の中の真ん中の島)からも始まっており、益々増えていくだろう。私たちが警戒すべきポイントだろう。
尚、詳報を別途書きます。