ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

昨日は22時に帰宅しました(20241201)

2024年12月01日 | 沖縄暮らし

おはようございます。本日は2024年12月1日(日)晴れ

 昨日は7時前に出て、22時ジャストに帰宅。約20kmを歩きました。昨日は遊び。金武湾の中にある宮城島のギャラリーSugarcaneRoom gallery +cafeで行われている(12月1日まで)泉川のはな「周辺視野」だ。今回の画題が「周辺視野」とあるように、焦点が定まるエリアとその外に広がる周辺のぼけた領域を意識(重ねた)した絵だ。

  私はフォトグラファーだ。常に360度見ていたい。無論、不可能だ。見えない範囲は、聴覚が頼りだ。私たちはフクロウではないからだ。泉川さんは「周辺視野」という、ぼけた部分と鮮明な部分を一枚の絵に構成している。絵だからできることだ。リアリズムとシュールリアリズム。シュールリアリズムとリアリズムが交錯する絵を私は撮りたい。私の課題だ。

 宮城島ってどこにあるの? との問い合わせが入った。金武湾の中の2番目の島だ。勝連半島から海中道路でつながっている。石油備蓄基地があるのが平安座(へんざ)島。その奥(北)だ。11時30分過ぎに歩き始め、宮城島に入ったのは15時を回っていた。場所がわからないので電話したら、「使われていません」だと。このまま帰るのは、ナンセンスだ。桃原(とうばる)の集落の通りに面しているに違いない。1周した。あった。探している途中でナガサキアゲハを発見。撮りました。

 この宮城島の鉱山から国は辺野古埋め立てのための土砂搬入を始めた。忌々しいが、今日は無理。泊まりがけで行くとか考えない限り、私は行けないだろう。

 16時30分頃、私は帰路につく。平安座島辺りで、日が沈み始め、「残照」を撮る。勝連半島に戻る頃は真っ暗になった。18時過ぎていた。ここでバス停を探したが見当たらず。平敷屋(東)方面に歩き出したが、戻った。否、西だ。安慶名(あげな)に出ないと帰れない。真っ暗の中をバス路を探し歩いた。平安名(へんな)をかすめて、西へ。バス停の時間を見たら、最終バスはでていた。やむをえず、タクシーを拾う。おかげさまで、77番バスに乗れた。22時帰宅。

 ドタバタだったが、行って、帰れた。四万歩を超えた。約20kmを歩いたようだ。帰宅したら、下半身があちこち痛い。たまにはこうしたでたらめな行程もいいようだ。全然めげていない。

 めげることは、この世に多数あるのだが、めげることの第一は、人と人の関係にある。私の期待値を裏切る、彼の、彼女の無反応(しかと)にめげる。ならば、私も平穏を守る。自分がやるようにやる。協力できる関係ができれば、やる。自分がやりたいことをやり、つなげる努力をしていく。

 話は変わるが、昨日、私が8月の写真展で打ち出した「自説」が正しいことを確認できた。どうやったらこの説を立証できるのかと思っていたが、「首里城と沖縄戦」保坂廣志著 集英社新書にズバリ出ていた。嬉しくて、危うくバスに乗り損ねそうになった。

 

 



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