ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

2021年8月1日から、完全フリーになりました(20210801)

2021年08月01日 | ヤマヒデの歩み

 おはようございます。8月になりました。私事ですが、今日から私は完全フリーになります。いやいや「完全も何もないでしょう」といわれそうですが、そうでもないのです。固定した仕事に縛られてはいないという意味では、フリーでしたが、週のうち4日、5日、辺野古テント村に、ボランティア・スタッフとして行っていました。もっともここのところ、コロナ禍で、閉店休業状態でしたが。

 私、そこをこの度、故あって、完全にやめました。おいで戴いていた皆様には、申し訳ないですが、もしも辺野古テント村(浜テント)においでになっても、私はおりません。まだこれからのことを十分整理していませんが、沖縄での活動は継続します。写真撮影(記録)と、基地ガイドなどやっていきます。また、辺野古・大浦湾、与那国島の絵はがきのほかに、新たに写真を中心とした販売物の制作なども始めます。

 ここを抜けたことで、すっきりと前を向き、新基地建設反対・造らせない闘いに自由な立場から取り組みます。所詮、当面一人なので、たいしたことができるわけではありませんが、ご注目いただければ幸いです。昨日、70になったことを報告し、長いスパンの話を手短に書きました。

 私が辺野古に関わり始めたのは、1997年からであり、定期的に訪れるようになったのは、2004年7月からでした。おいおい、当時からのことをまとめなければならないのでしょうが、2011年から与那国島、石垣島、宮古島に足を運び、「島嶼防衛」なるものに警鐘をならしてきました。しかし、この国は遂に航空母艦まで所有する国になる時代を迎えています(既報)。

 最近の私の頭の中に、「軍艦マーチ」がぐるぐるかかっています。戦後日本は、沖縄島を軍事化することによって、米国の属国として日本国は1952年「独立」(別の政権をもったという意味)しましたが、身も心も米国支配のままです。沖縄が米国のアジア支配における軍事拠点となり、ベトナム戦争や様々な戦争の出撃拠点となってきたことは、周知の事実です。

 「沖縄にいると、日本が見える」と言われてきましたが、無論これは一面の日本です。裏面だと思っている方が多いでしょうが、実は「表の一面・顔」なのです。そうなのに切り離されたり、遠いので、無視されてきたし、観光というベールが被さり、またみえなくなってきました。

 こういうことを考え、追いかけることは、辺野古テント村に片足(3分の2ぐらい)をつっこんでいては、十分にできませんでした。逆にこの現場に規定されすぎて。どうしても辺野古・大浦湾、キャンプシュワブ・新基地建設が原点になってしまう。1996年のSACO合意は同年4月17日の「安保再定義」から始まっています。これが出発点です。ソ連邦崩壊後の米国一極支配にむけた軍事的な道筋です。だから、この全体を見ないとならなかったのですが、沖縄にいると、現場にいると猛烈にリアルですから、釘付けにされてしまうのです。

 私がこの半年追いかけてきた現場は、いわゆる中部が多いです。ブルービーチ演習場(金武町)、金武湾(金武町・うるま市)、ホワイトビーチ(うるま市)、普天間基地(宜野湾市)、嘉手納基地(嘉手納町・沖縄市・北谷町)などです。

 一方で北部はこれから軍事基地が強化されていきます。無論、シュワブを中心に、伊江島・本部港も組み込まれ、北部訓練場もますますです。一方、奄美大島や馬毛島・種子島、鹿屋基地(鹿児島県)、新田原基地、など九州一帯が完全に組み込まれていきます。

 海はホワイトビーチから南シナ海へ、ホワイトビーチから金武湾沖、大浦湾、北部訓練場までまっすぐです。私たちの生活感覚と異なるところで彼らは軍事展開していますから、私たちが気づいていないだけで、こんなに便利な島は世界広しといえども他にないでしょう。

 私はうちなんちゅーではありませんから、沖縄へのこだわり方は当然違います。拓くべきところは拓いてやるべきだと思っています。

 ということで、皆様、長年ありがとうございました。また、これからもよろしくお願い申し上げます。私への連絡は、コメント欄にでも入れて戴ければ、対応いたします。



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