2022年1月2日午後。比治山から陸軍被服廠を目指す。陸軍墓地から見えていたし、19年8月にも行っている。しかし、どうも掠めてしまったようだ。自分の中の方角と方向を修正し、正しそうなあっちをめざす。
やっとみつけた。県立広島工業高校の奥だ。13:15
ここだ、ここだ。赤煉瓦の建物だ。陸軍被服廠。3棟ある。がたがたであり、地震が起きたら危険だ。これは理解できるが、柱等を補強して、広島県は、これは原爆遺構だと示して頂きたい。13:19
この道が狭い。だから反対側に居住されている方々には、迷惑千万だろう。しかし解体は簡単だが、被爆したものの、倒壊しなかった建物であり、陸軍の被服廠だった事も含め、広島県や広島市は、しっかりと残して欲しいものだ。13:20
軍の被服廠とは、戦闘服等様々な軍装を制作していたのだ。被爆後、臨時救護所になっていた。国や県はお金が無いと言うが、過去の現実を示す物件の保存を軽視するとすれば、そこには裏があると私は疑ってしまう。
鉄板製の窓。さびさびだ。剥がれ落ちてきそうだ。13:24
その下に咲くムラサキカタバミに似ているが、でかい。葉が肉厚。なんだろう? 図鑑で調べたところ、ハナカタバミか。
13:30
13:33 地面に這って撮った。さびは落ちてこなかった。
13:35 道路幅2.5mぐらいか。
13:41
駐車場の奥から。13:42
次は残照迫る原爆ドームへ歩いた。途中で、広島市営「ひろ電」。新型車両が交差する。14:07
分かった。私の電車撮影が苦手な理由。電車の構図の基本形をバッチリ描けないからだ。沖縄のモノレールならばいけるのだが。何事も基本形づくりは練習から始まる。
しばらく休憩。つれもよく歩いてくれる。
旧太田川反対側から
原爆ドーム。15:53
最高部の茶色の骨材は補強板だろう。円板状に嵌めてあるようだ。
残照モードになってきた。16:00
宮島から平和公園行きの船が通過(この先が船着き場)。16:02
ドームの向こう側の木々にピントを合わせた。ドームの空洞を浮き上がらせたかった。16:05
前のは露出オーバーだが、こちらはオーケイ。建物の奥域がないから撮影は楽。否、破壊された事を想起すべし。16:05
被爆、敗戦77年の風景。被爆を観光資源にしてはならない。核兵器を直視し、不戦を喚起する資源にしていく方法を考えよう。16:15
椿と原爆ドーム 植物も生きている。 16:25
原爆ドームが隠れてしまったが。
植物も生きている。壊すな! 殺すな! 16:27
日が沈む。手前の樹木はシルエットだが、ドームはまだ色が残っている。色のある世界は貴重だ。普段の私たちは、このことに気づいていない。戦禍は色のある世界を消してしまう。市民はこれを奪われてはならないのだ。16:29