稲刈りでこの5日間ほど晩飯の当番を免除してもらったが、料理をしていないと逆にストレスがたまる。今日の晩飯は私が担当になったので、「さんまのつみれ汁」をつくった。つみれ汁でも、すり身汁でも良いのだが、岩手の沿岸では秋の定番料理である。さんまのすり身(200g)に味噌、生姜の下したの、片栗粉を加えなじませる。コンブと鰹節でとっておいただし汁で、大根、ニンジン、ゴボウなどの野菜を切ったものを軟らかくなるまで煮て、白菜を加え、味噌やみりん、料理酒などで味をととのえる。そこへ、なじませておいたさんまのすり身をスプーンなどですくって投入し、最後に豆腐と長ネギを加えて煮あがると出来上がり。これは「新いわて」の10月発行のものに載せる計画なので、もっともらしく「レシピ」を書くのだが、本来はカンでつくるのが一番おいしい。分量ははかるのではなく、「こんなもんかな」という感じで作るのが私の「男の料理」である。私は、さんまのすり身に生姜を利かせないと絶対おいしくないと思っている。この料理も地域ごと、家ごとに少しずつ違うようだ。
今日は朝からモミを「せいろ」に収納する作業をして、11で終わった。「せいろ」というのは蔵の中につくってある木製のコメの収蔵庫で、ネズミなどが入れないようになっている。蔵の狭い階段を30㌔g入りの袋を持って登り、上の投入口から投入するのだが、これがなかなかの重労働である。汗びっしょりで、2つの「せいろ」がいっぱいになってしまって。25袋は蔵に平積みにした。冬の間にこの分は精米されると思うので、一応収納作業は終了となった。
さて、この農作業をしている間も時間を見つけて本を読んでいる。
三宅孝太郎著の『竹中半兵衛』(幻冬舎文庫)を読み終えた。来年の大河ドラマは黒田官兵衛だが、竹中半兵衛とともに羽柴秀吉の軍師をつとめたことは知られている。作者も「あとがき」で言っているが、竹中半兵衛には諸葛孔明に似たものを感じる。いずれも、天下取りをめざす人物を補佐した点が共通するからだろうが、孔明は蜀漢の丞相をつとめたのに対し、竹中半兵衛は秀吉が天下取りに乗り出す前に36歳で燃え尽きてしまう。そういった悲劇性を持ちながら、私利私欲なく、権力権勢に興味を示さなかった、戦国の世にはあまり見ることのできない人物だと思う。何となく、彼の生き方にひかれるのもそんなことがあるからかもしれない。