陸上王国八重山らしく、八重山では伝統的スポーツ大会として、
毎年八重山高校・八重山農林高校2校の 対抗陸上競技大会が開催されていた。
1962年私が高校1年生の時に八重山高校は大会2連覇を果たした。
当時は全高校生が動員され応援団の仮設スタンドが作られ、
そのスタンドで応援合戦が繰り広げられていた。
応援団リィーダーのもと、一糸乱れぬ応援をしていたと記憶している。
先輩たちのバンカラ時代のこと。応援を怠けると呼び出され制裁を受ける時代でもあった。
八重山農林高校選手には、同期の細原俊一(400m、42秒3、高校県記録)がいて、
東京オリンピック(1964年)の 強化選手候補の一人として注目されといた(当時の新聞報道)。
八重山高校には喜屋武 明(100m・200m)、 宮良善雄(1500m)がいた。
(写真は1962年の大会2連覇した時の写真と古いアルバムには記録されている。)
その後、山森卓彦(円盤投げ)、大浜正美(やり投げ)の選手も出て活躍した。
最前列には池間義則、照屋寛仁、山城武則、山城弘明、大濱用克、大濱用八郎、君などがいる。
毎年八重山高校・八重山農林高校2校の 対抗陸上競技大会が開催されていた。
1962年私が高校1年生の時に八重山高校は大会2連覇を果たした。
当時は全高校生が動員され応援団の仮設スタンドが作られ、
そのスタンドで応援合戦が繰り広げられていた。
応援団リィーダーのもと、一糸乱れぬ応援をしていたと記憶している。
先輩たちのバンカラ時代のこと。応援を怠けると呼び出され制裁を受ける時代でもあった。
八重山農林高校選手には、同期の細原俊一(400m、42秒3、高校県記録)がいて、
東京オリンピック(1964年)の 強化選手候補の一人として注目されといた(当時の新聞報道)。
八重山高校には喜屋武 明(100m・200m)、 宮良善雄(1500m)がいた。
(写真は1962年の大会2連覇した時の写真と古いアルバムには記録されている。)
その後、山森卓彦(円盤投げ)、大浜正美(やり投げ)の選手も出て活躍した。
最前列には池間義則、照屋寛仁、山城武則、山城弘明、大濱用克、大濱用八郎、君などがいる。
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