「まちなかキャンパス」で、「長岡藩の腑分(人体解剖)〜近代医学の誕生に立ち会った人々〜」という講座を受講しました。講師は長岡郷土史研究会の遠山典子さん。ずっと高等学校の歴史の先生をなさっていた方だそうです。今は長岡大学でも教鞭をとっていらっしゃるとか。
いやぁ〜面白かったですねぇ。ボクがこれまでもっていた「腑分」に関する知識といったら、せいぜい解体新書、杉田玄白、新井白石、被差別部落の人々の技術…程度でしたからね。まさかこの長岡の地でも「腑分」が行われていたとは。ましてや全国的には蘭学医が個人的に行っていたケースがほとんどなのに、長岡の地では「藩」として行っていたとか、当時の藩医の子孫のお宅に「腑分」の記録が残っていたとか、その記録にあった「下書き」を清書したものが東大医学部図書館に現存しているとか、腑分の記録は驚くほど詳細だとか、まぁとにかく、驚きの連続でしたよ。
90分間の講座は面白くて、あっという間に終了しました。ところがふと隣席を見たボクはぶっ飛びましたよ。そこにいらっしゃたのは、越後長岡藩を治めた牧野家の17代当主であり、長岡市立科学博物館(長岡藩主牧野家史料館)名誉館長などを歴任されている牧野忠昌氏でありました。「長岡藩の腑分」というテーマに興味をもたれ、聴講に来られたのですね。思わず「牧野さんでいらっしゃいますよね?」なんて話しかけてしまいました。
なんか少し、長岡の地に住んでいることに誇りをもてた90分間でした。でもね。すぐに思い出してしまいました。ボクが住んでいるのは確かに長岡市内ですが、江戸時代には山形・上山藩の飛び地だったのでした。長岡藩とも、牧野の殿様とも無関係なんですよね。
これに関して詳しく知りたい方は、こちらを御覧ください。
あっ。今日はこれでおしまいです。