20代のころ沢木耕太郎を知り、大ファンになって30余年。やっぱりこの方の文章は、いいな〜
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■沢木耕太郎
私にとって沢木耕太郎は、「好きな作家」のレベルではなく、あこがれの人に近いです。
出しゃばらず、地味で聡明。
簡潔で控えめで茶目っ気がある文章。美文です。
ノンフィクションの取材で興味ある人にインタビューをする。
するといつの間にか、インタビューされた人が、彼のファンになってしまうんですね。
それは場末のバーで知り合った人、旅先で知り合った人も同様。
彼には、人をひきつける魅力があります。
■深い海の底に
このエッセイ集には、25年間書き溜めた2〜6頁ほどのエッセイがたくさん収録されています。
その中に、30頁に及ぶ、「沢木らしいな〜」という話もあります。
・・・・・・・・・・
「深い海の底に」(あらすじ)
私(沢木)は、今度こそ最後になるかもしれない38歳のモハメッド・アリの世界戦を観ようかどうしようか迷っていた。
迷うとは、アリの悲惨な最後を観たくないという気持ちと、だから観ておくべきという気持ちの整理がつかなかったからだ。
迷った挙句
「観よう!」
と決断したものの、ラスベガスの3万人のチケットは完売。
困った私は、米国在住の知人に相談した。
後日、彼から
「チケットを譲ってくれる方がいました」。
融通してくれたのは日本の高倉健だというではないか。
「健さんは
『私が観るより、プロが観たほうが価値がある』
と言ってくれました」。
高倉健が、面識のない私にチケットを譲ってくれたのだ!
アリの初めてのTKO負けで幕を閉じた世界戦の観戦記を、ホテルで書くことにした。
「仕事」ではなく、チケットを譲ってくれた高倉健のために。
数年後。
FM番組を持つことになった私は、第1回目のゲストを誰にするかでスタッフと検討していた。
「高倉健さんにお願いしたい」
「そんなの無理ですよ。高倉さんがラジオに出てくれるはずがない」
スタッフがアプローチすると、こんな回答が返ってきたという。
「ぜひ出演したい。
それも北海道の牧場で2日間かけてゆっくり話したい」
初めて会った高倉健は、私のモハメッド・アリ戦の観戦記を痛く気に入ってくれていて、2日間にわたるインタビューは、とても楽しいものとなった。
以来、たまに健さんと会うようになった。
酒を飲まない健さんとは、喫茶店でケーキを食べながらというものが多かった。
ある時、健さんから
「シナリオを書いてただけませんか」
と依頼された。
依頼されて5年を過ぎたころ、小説「波の音が消えるまで」がようやく出来上がった。
真っ先に健さんに届けるつもりだった。
しかし面識のない新聞記者からの突然の電話は、健さんとの約束を果たせないことがはっきりした内容だった。
「高倉健さんが亡くなりました。
沢木さんからひと言、コメントをいただきたいのですが」
・・・・・・・・・・
沢木耕太郎らしい話です。
彼、今年で72歳になるはずです。
ワタクシにとって永遠に憧れの青年・沢木耕太郎。
これからも精力的にノンフィクションや小説、エッセイを書き続けてほしいです〜。
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■沢木耕太郎
私にとって沢木耕太郎は、「好きな作家」のレベルではなく、あこがれの人に近いです。
出しゃばらず、地味で聡明。
簡潔で控えめで茶目っ気がある文章。美文です。
ノンフィクションの取材で興味ある人にインタビューをする。
するといつの間にか、インタビューされた人が、彼のファンになってしまうんですね。
それは場末のバーで知り合った人、旅先で知り合った人も同様。
彼には、人をひきつける魅力があります。
■深い海の底に
このエッセイ集には、25年間書き溜めた2〜6頁ほどのエッセイがたくさん収録されています。
その中に、30頁に及ぶ、「沢木らしいな〜」という話もあります。
・・・・・・・・・・
「深い海の底に」(あらすじ)
私(沢木)は、今度こそ最後になるかもしれない38歳のモハメッド・アリの世界戦を観ようかどうしようか迷っていた。
迷うとは、アリの悲惨な最後を観たくないという気持ちと、だから観ておくべきという気持ちの整理がつかなかったからだ。
迷った挙句
「観よう!」
と決断したものの、ラスベガスの3万人のチケットは完売。
困った私は、米国在住の知人に相談した。
後日、彼から
「チケットを譲ってくれる方がいました」。
融通してくれたのは日本の高倉健だというではないか。
「健さんは
『私が観るより、プロが観たほうが価値がある』
と言ってくれました」。
高倉健が、面識のない私にチケットを譲ってくれたのだ!
アリの初めてのTKO負けで幕を閉じた世界戦の観戦記を、ホテルで書くことにした。
「仕事」ではなく、チケットを譲ってくれた高倉健のために。
数年後。
FM番組を持つことになった私は、第1回目のゲストを誰にするかでスタッフと検討していた。
「高倉健さんにお願いしたい」
「そんなの無理ですよ。高倉さんがラジオに出てくれるはずがない」
スタッフがアプローチすると、こんな回答が返ってきたという。
「ぜひ出演したい。
それも北海道の牧場で2日間かけてゆっくり話したい」
初めて会った高倉健は、私のモハメッド・アリ戦の観戦記を痛く気に入ってくれていて、2日間にわたるインタビューは、とても楽しいものとなった。
以来、たまに健さんと会うようになった。
酒を飲まない健さんとは、喫茶店でケーキを食べながらというものが多かった。
ある時、健さんから
「シナリオを書いてただけませんか」
と依頼された。
依頼されて5年を過ぎたころ、小説「波の音が消えるまで」がようやく出来上がった。
真っ先に健さんに届けるつもりだった。
しかし面識のない新聞記者からの突然の電話は、健さんとの約束を果たせないことがはっきりした内容だった。
「高倉健さんが亡くなりました。
沢木さんからひと言、コメントをいただきたいのですが」
・・・・・・・・・・
沢木耕太郎らしい話です。
彼、今年で72歳になるはずです。
ワタクシにとって永遠に憧れの青年・沢木耕太郎。
これからも精力的にノンフィクションや小説、エッセイを書き続けてほしいです〜。
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ボクはこれと「敗れざる者たち」かな。72才ですか。
「江夏の21球」を長い間、沢木氏の作品と思っていた。
「柿(かき)」は9画で、「杮(こけら)」は8画だそうです。
「柿(かき)」の「亠」と「巾」の間にはすき間があります。
沢木さんのエッセイは読んだことがありませんが、読んでみたくなりました。
旅を題材にされた沢木さんの作品興味津々です。
沢木さんの作品読もうっと( ^^) _U~~
全く知らなかったのですが、すごいなぁと
思います。
応援ぽち2。
こちらは昨日今日と、寒くて雨が降り続く2日間でした。まさに三寒四温。明日からはまた暖かくなるようです。花粉もすごいんだろうなぁ。。。
天気がよくない日が続くときは、静かに読書っていうのもいいかもしれませんねw
『波の音が消えるまで』は数年前、のめり込むようにして読んだ記憶があります。
かなり不思議な小説で、読みながら考え込みました。
シナリオ仕立てと言われれば、そんな気もします。
健さんとの間でそんな背景があったのですね。
また読んでみたくなりました。