スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

雑司ケ谷ぶら~り

2015-04-18 | 東京・川崎



雑司ケ谷は 路地がくねくねしていて、うっかりすると方向を間違えそうで
決して歩きやすくはないけれど、どこか懐かしさを感じる趣のある街☆




「鬼子母神堂」の北側、桜の古木が両側に並ぶ参道

 其角が「 
山里は ひとをあられぬ さくら哉 」と詠んだという桜並木は
今はもうすっかり葉桜ですが、花の季節は さぞ見事なことでしょうね。


威光山 法明寺



日蓮宗
創建: 810(弘仁元)年
もとは真言宗のお寺でしたが、1312(正和元)年 日源上人のとき改宗し
現寺号となりました。 『吾妻鏡』にも寺名の記述がある古い歴史のお寺。 
鬼子母神堂は、当山に属する御堂です。




大鳥神社

祭神: 日本武尊
 配祀: 倉稲魂命
    創建: 1712(正徳2)年
出雲・松江藩主松平氏の嫡子が下屋敷で疱瘡に罹った際、鷲明神の
功徳で治癒したことに感謝して、この地に勧請したことに始まるとか。
初め鬼子母神境内にありましたが、明治初年の神仏分離令により
改称して大鳥神社となり、現在地に遷座しました。 毎年11月の
「酉の市」は江戸時代から続き、商売繁盛を願う人々で賑わいます。




都電の線路沿いを左に進み、踏切を越して緑の中へ・・

雑司ケ谷霊園

江戸時代には将軍家の御鷹部屋があったそうで、大きな樹木が多く緑に
包まれた 池袋の繁華街に隣接していることを忘れるような 広くて静かな
都営霊園です。 1872(明治5)年に開設。 各界著名人のお墓がたくさん
あって、近年は著名人のお墓巡りをする人も少なくないと聞いています。

‘猫’は そうしたことにはあまり興味ないけれど、偶々通りかかり目に留まった
個性的で立派なお墓が、やはり有名な方のものだったので、へぇ~・・・と
夏目家                         東條家
          



霊園を出て、下り坂の途中で左へ入ると・・

旧宣教師舘

1907(明治40)年築のカーペンターゴシック様式の木造二階建て。
明治時代に布教のため来日した アメリカ人宣教師 ジョン・M・
マッケーレブ氏の自宅兼活動拠点だった建物だそうです。
都指定有形文化財

玄関脇の張り出し窓                玄関ポーチの方杖装飾
          


19世紀後半頃のアメリカ郊外住宅の雰囲気☆





くねくね路地を行ったり来たりして、辿り着いたのは・・

清土鬼子母神堂

1561(永禄4)年に、柳下若狭守の下男 山本丹右衛門が
清土の田から鬼子母神像を掘り出したと伝えられます。

御堂を撮っていると、数珠とお線香を手にした信徒の男性が来られ
御堂の扉を開け中に入り読経が始まったので、邪魔しないように
立ち去ろうとすると、「どうぞ中へ入って御像をご覧ください」と。
え、いいんですか?・・・

御厨子の中の小さな鬼子母神像(レプリカだそうですが)を
思いがけず 近くまで寄って拝観することができました。          
 

境内にある星跡の清水井戸

星影が水に不思議な光を宿して 御像の存在を知らせたとも、
掘り出された御像を清めたとも伝わる 三角形の井戸。


雑司ケ谷は 歴史と伝統に培われた地域文化と豊かな自然が残る街。
これらを100年後の未来に繋ぐ取り組みが認められて、2014年末に
日本ユネスコ未来遺産に 登録が認定されたんですよね。
また違う季節に、今回と違う場所も訪ねてみたくなりました☆

20,973歩



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