鎌倉時代に拓かれた「白山(しらやま)道」は、北条氏が鎌倉と
金沢の「称名寺」を往来するのに使われた 山越えの幹線道路でした。
この古道でどんな出会いがあるかを楽しみに、京急「金沢文庫」駅から出発!
駅そばの「谷津川」に沿って暫く歩き、民家の間を入って行くと
ほどなく右手に石の鳥居。 急な石段が上へと続いています。
「谷津浅間神社」
エッサホイサ と長い石段を上りきると、
リスの声が響く鬱蒼とした叢林の中に、朱塗りの社殿
祭神: 木花咲耶姫尊
大六天神社 木花咲耶姫尊の碑
石段の途中に祭礼提灯が下がっていましたが、普段は無住のようで
木花咲耶姫尊の碑のほか特に説明板もなく・・・
神社をあとにバス通りに出て、右へ3~400m歩くと
右側の少し奥まった所に
「赤井山 正法(しょうぼう)院」
真言宗のお寺。
本尊: 阿弥陀如来
中興開山: 周純法印
今から約1200年前、水不足や疫病に苦しめられていた村人のために
弘法大師が井戸を掘り、その赤い霊水で加持祈祷を行ったのに始まると
伝わり、江戸時代 「赤井の井戸」は「金沢七井」の1つに数えられたとか。
本堂前に「摩尼車」
上の可動部分に般若心経が刻まれてあって、
1回まわすと、お経を1回お唱えしたことになるというもの。
まだ新しいもののようです。
本堂横から石段を上って行った奥ノ院に
「赤井不動尊」
以前 瀧の山に祀られていたのを、1688(元禄元)年 此処に遷したもので
この不動尊に石を供え願をかけて石を持ち帰り、大願成就したときに
石を増やしてお返しするのが習わしだということです。
不動堂の高台から、市街がよく見渡せました☆
緑の大屋根が「正法院」本堂
笹下釜利谷道路を跨ぎ、「宮川」に架かる「宮下橋」の手前左に
「手子神社」
祭神:大山祇神(オオヤマヅミノミコト)
創建: 1473(文明5)年
釜利谷の領主 伊丹左京亮が瀬戸神社の分霊を勧請したのに始まるといわれます。
1679(延宝7)年 伊丹氏子孫に当たる江戸・浅草寺の智楽院忠運師が現在地に再建。
釜利谷地区の総鎮守。
子連れの立派な狛犬さんには、「慶應」の刻銘。
社殿左手に 「竹生島弁天社」
手子神社の東側は「小泉」と言い、かつてはこの辺りまで海が迫り
「竹生島」という岩山があったそうで、晴天でも梢から雫を滴らせている
大松があり 「金沢八景」のうちの「小泉の夜雨」と称えられていました。
その松の根元の岩窟にあった弁財天を、1940(昭和15)年此処に遷座しました。
段々と 「白山古道」の核心部に入ってきたようです☆
では 涼風の吹き抜ける境内の緑蔭で、暫時休憩して水分補給
後半に備えて・・
(続)
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