横浜・都筑区港北ニュータウン内にある 弥生時代中期の遺跡。
この地域で稲作を始めた人々の集落(大塚遺跡)とその人達の墓地
(歳勝土遺跡)といわれ、ムラと墓が一体として分かる貴重な遺跡として
国の史跡に指定され その3分の1が公園として一般公開されています。
発掘当時の様子
(パネルより)
★大塚遺跡★
1972(昭和47)年の発掘調査で 85軒の竪穴式住居、10軒の高床式建物が
発見され、現在そのうちの住居7軒 高床倉庫1軒が復元展示されています。
ムラの外周600mに 幅4m・深さ2mほどの空堀を巡らし、外側に
築いた土塁の上に柵を設けて ムラを守っていました。(環壕)
稲作が広まり定住性が増すにつれて、他集落との
争いなども 増えていったのでしょうね。
住宅跡に特殊処理・加工を施し保存しています。
大型住宅
ムラの長(おさ)の住居で、集会にも使われました。
高床式倉庫
収穫物などを収めておく建物。 数軒の住居群が
1~2軒の倉庫を共有していたと考えられています。
ねずみ返し
★歳勝土(さいかちど)遺跡★
大塚遺跡から約80m離れた一帯から発見された方形周溝墓群で、
大塚遺跡の住人の墳墓と考えられています。 現在25基が確認
されていますが、未調査部分も含め 30基余かと推測されます。
住居と墓地を結んで墓道があり、方形周溝墓の間の隙間は 墓地内の通路と思われます。
(パネルより)
発見された墓のうち5基を復元しています。
墓の中央辺りにある四角い穴には、棺を納めた痕跡が確認されています。
復元されない方形周溝墓は、石でその位置を表示。
芝生の上で駆けまわる幼児や ボールを蹴り合って遊ぶ親子の姿
なども見られて、住宅地の中の公園といった雰囲気です。
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