おはようございます。
ゴールデンウィークに入ってお休みの皆さんお出かけのことと思いますが、私はまだ介護で
出かけることができません。
京津線も今回で3回目となりました。
ポール時代の写真です。
30形 31~42(43) 12両
大正15年10月新製 31~36 その後 37~42の6両を増備し 昭和5年9月に42→43に改番
31~35が石坂線用になり36~40が四宮車庫の火災で焼失 30形2両編成となる工事を錦織車庫に
ナニワ工機と東洋機械興業が出張して改造された。
39(39)+40(36) ナニワ工機 昭和24年12月
37(32)+38(34) 東洋機械興業 昭和25年2月
31(31)+32(37) ナニワ工機 昭和25年2月
33(33)+34(38) ナニワ工機 昭和25年3月
35(35)+36(40) ナニワ工機 昭和25年4月
41(41)+43(43) 東洋機械興業 昭和25年4月
260形増備で39+40 41+43 昭和40年11月 31+32 37+38 昭和42年2月
33+34 35+36 昭和43年11月に廃車された。
50形は昭和7年(1932年)7月 51 大阪鉄工所(現日立造船) 52~54 田中車輛(現近畿車輛)
直流直巻モーターで発電ブレーキ車
昭和8年(1933年)2月 55 田中車輛 56~58 日本車両 直流複卷モーターで回生ブレーキ車
昭和24年(1949年)8月に四宮車庫で火災にあい8両すべて被災、うち被害の軽かった2両 52 54を
車体はナニワ工機で復旧 54→55 52→56 (発電ブレーキ)となった。昭和43年12月廃車
その他の車輛は昭和24年12月廃車になった。
10形 14 15 11 13 12 16 17 18 の順に阪急1形を譲り受けた。
明治43年(1910年)箕面有馬電鉄製造 阪急1形となる。
昭和40年11月に15・16 昭和42年2月に11・18 同年3月に12~14・17が廃車になる
参考資料として鉄道ピクトリアル№553 1991年12月増刊号使用しました。
(1) 55 浜大津行 御陵付近 S38.12.
(2) 43 石山寺行 粟津駅付近 S38.12.
(3) 33 坂本行 43 石山寺行 粟津駅 S38.12.
(4) 32 石山寺行 粟津駅 S38.12.
(5) 18 坂本行 粟津駅 S38.12.
「 鉄婆」の写真
今回も家内の写真は前回の清州での写真です。
車いすでは少し低すぎるようですので次回は何か方策を考えます。
三脚を付けるか、車いすをもう少しフェンスに近付けるか、考えてみたいと思います。
(1) EF210-106 下り列車 稲沢ー清州間 H27.4.12.
(2) DD51-875 上り列車 稲沢ー清州間 H27.4.12.
次回までにもう一度チャレンジしてみたいと思います。
次回は5月10日日曜日です。