【閃(ひらめき)について】 2005.05
閃きとは何か?少し考えてみた。
誰もが一度は閃きとよばれる現象を体験したことがあると思う。
「ふとした時に閃く」
と一般的に言われるように、何か考え事を続けていた後、
あるいは創造的な思考の後、ふと気を抜いたときなどに、
回答らしきものが浮かんでくるといったことだ。
この閃きについて、ずいぶん昔に読んだ書籍にはたしか
集中して考えた後、意識は違うことをし始めても潜在意識としては
その命題を考え続けており、集中という緊張が緩和された
リラックスした瞬間に答えがでてくるというもの。
閃くまでの流れは確かにそうかもしれない。
では、現代の常識的に閃くための元種は何かというと、
それまで脳に蓄積された記憶に基づくとしか考えられない。
私はこの部分をつっこんで考えたい。
走馬燈のごとく記憶がよみがえるという話があるが、
たとえば昨日の新聞の内容を話せと言われても、何かヒモ付くキーワードがなければ、とても思い出せない(もっとも覚えてる人もいると思うが)。
しかし実際の記憶としては残っており、思い出せないだけである。
潜在意識が考え続けるということは、
その思い出せない記憶をめいっぱい加味しつつ答えを導くのかもしれない。
もっともらしいが、
ここで大前提となっているのは「蓄積された記憶」の存在。
では、人生経験豊富な人、物知りな人ほど、閃き度が高いのか?
という疑問がでてくる。
理屈としてはその通りである。ちゅうか、そうでないと困るわけだが・・・。
★閃きとは、
蓄積された記憶から
無意識に導いた結果である
ただ閃きの種類を考えるに
上記のような思考の末に求めた答えを閃く場合と、
別にそんな深く考えてないけど。
古い時代の作曲家はどこからメロディーが浮かぶ?
などなど、必ずしもこれまでの人生の記憶とは関係なさそうな
閃きもあるように思う。
閃きについて、足立幸子著書の「あるがままに生きる」という本では
意識レベルが上がると、閃きが入りやすくなると書いてあった。
ややオカルトチックにはなるものの、
実生活の中でいっぱい閃きがあれば、なんとすばらしいことか!
では意識レベル上げるとは何か、その本には
調和といった言葉で説明されているが
私の理解としては、
「一つの閃きを必ず行動に移す」
を繰り返すことだと理解した。
さて
ここで別角度から考えてみたい。
唐突に言うと、まず生まれ変わりを信じる必要がある。
というか私にとっては生まれ変わりはすでに常識となっている。
キリスト教はある時期から生まれ変わりを否定しているが、
日本では輪廻転生という仏教用語がわりと知られており、
漠然と理解されている方が多いかもしれない。
(漫画では北斗神拳究極奥義の名(無想やけど)として、
セイント聖矢ではゴールドセイントの技として出てきた)
またまたオカルトチックな話だが、
生まれ変わりについては催眠療法を実施する精神医学界では
知られたことで、精神科医が催眠療法を実施しているとき
被験者が過去生の記憶を語ることがまれにあるという。
その地位を恐れずに書かれた本としては
マイアミ大学精神医学科元教授ブライアン・ワイス博士の
「前世療法」、「前世療法2」、「魂の伴侶」。
日本では福島大学経済経営学類 飯田史彦教授の
「生きがいの創造」シリーズが有名。
ワイス博士の著書は物語風に書かれており、初めて読んでも全く違和感はない。飯田教授の著書は生まれ変わりについてのあらゆる資料と考察が書かれており、それを実生活の中でどう生かすか、という内容になっている。
これらの本を読まなくても、
ソウルメイトやソウルファミリーといった輪廻に由来する言葉を多少なりとも耳にする機会があると思う。
自分の体を見下ろすといった臨死体験でもわかるように、
生まれ変わりを考えると魂は肉体に宿り、
肉体はこの世の借り着であり、魂そのものは不滅であるということ。
そして、その魂はある目的を持って現世に生まれ、今生を生きる。
話を閃きにもどすと、
一般的に記憶を司るのはあくまで脳と考えられているが、生まれ変わりを考えたとき、魂には、今まで肉体を持って生きた記憶が存在しているということ。
つまり肉体をもって今生を生きる上で必要な記憶は脳にあるが、過去生の記憶はそのもっと奥の魂のレベルに存在しているということ。
★閃きとは、
その過去生の記憶へもさかのぼって導かれた?
と思うようになってきた。
さらに飯田史彦さんの本を読み進めるうちに、魂はエーテル体と呼ばれ、さらに高次のアストラル体へと上ることが可能とわかった。魂はエーテル体。エーテル体の波動はみな同じようなものと思うので、おそらく共振することが可能ではないか?いち魂(エーテル体)はあらゆるエーテル体ともつながっているのでは?
「個にして全。ある偉大なオームが教えてくれました」
by 原作風の谷のナウシカより
般若心経の
色不異空。空不異色。色即是空。空即是色はこれを意味する?
だってシンクロと呼ばれる現象がそれそのものではないか、電話かけなきゃと思っていたら、その人から電話がかかってきたとか、欲しいと思っていた物を家族が買ってきたとか、これは人が根底でつながっている証拠ではないか?C・G・ユングが人は意識の根底でつながっていると主張していたのが、やっと理解できたのだ。
地球は生き物であろうか?であるなら地球そのものにもエーテル体が存在するかもしれない。
これは偉大な叡智が存在してそうだ。
★閃きとは、
エーテル体を通して、
あらゆる叡智を導いた結果である
そのアクセス権は全ての人がもっており、慣れてくればくるほど(レベルが上がるほど)より多くのエーテル体から叡智を引き出すことが可能なのではないか?
この記事をかいた切っ掛けは、最近、アカシックレコードという言葉の存在を知ったからだ。これは上記に書いたような私が徐々に考えていった内容そのもの。その無限の偉大な叡智はアカシックレコードと呼ばれていたのであった。
結論として、
★閃きとは
脳に存在する記憶からアカシックレコードまで
意識、無意識に引き出した情報であると。
そして
いっぱい閃くには、
より高質な閃きを得るには、
一つの閃きを大切にし、
それを実行に移すことを繰り返すこと。
だれか読んでくれただろうか。。。。