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1月の実家奉公にて。
実家からは
今は見えないこの山並み。
この風景は家から
見えた。
私の育った地域は
海も山も川も湖も木もない所。
そして、
今では駅周辺に背の高い建物が多く建ち
空は四角になった。
それでも
この山並みの形は変わらない。
私の唯一の懐かしい風景。
今日は
これから
ホームに入っているおばへ
会いに行く。
彼女は
彼女の母(私からは祖母)を看取った後、
あらかじめ自分で探して決めていた
老人ホームに
さっと入所した。
パソコンと村上春樹の本だけあればいい、と言って。
それができる環境と
いさぎよさはうらやましい。
さて
私は
消えて無くなりたい病い、
人間を辞めたい病い。
いつだって
私は自分を
弁護して生きてきた。
だから
生きてこられたと思う。
だから
進歩がないとも言える。
これからも
私は自分を弁護しながら
生きて行くと思う。
自分だけは
自分を見捨てない。
このことは
とても強く思っているので。
コメントありがとうございます。
ひでちゃんさんのブログから
良い刺激をいただくことが多いです。
私も夢実現のために一歩ずつ一歩ずつ進みたいと思います。
フォローしていただき
感謝いたします。
コメントありがとうございます。
私も思い返してみて、自分の本質みたいなものって、そう変わっていないな、と思いました。
「自分の判断は間違っていても自分の判断」本当にそうですね。
自分をしっかりフォローして
生きて行きたいと思います。
フォローしていただき
感謝です。
コメントありがとうございます。
「捨てる神あれば拾う神あり」の言葉は知っていましたが、こんなにありがたい言葉だということを
はじめて知りました。
タイガに漕ぎ出します。
フォローを感謝いたします。
今は、無理やりにも夢を抱き希望を持って生きています。
自分が不可能だと思う得ることのみに目標を定めています。
ま、人生がくだらなくなったら、いつでも死ねますからね。
自分は自分を見捨てない、なるほどなあと思いました。
ぼくは、過去の自分の判断であっちを選んでればって思うことがありますが、やっぱ自分ならこっちを選ぶなあと、どうあっても今の自分になると感じています。
自分の判断は、間違っていても自分の判断。
今の自分がフォローしてくれます(笑)
自分大好きでいきましょう。