夕方は気忙しかった。
① 叔母は仕事中から何度も電話してくるし。
で、すごく久しぶりに夕食を食べに行った。
例によって、焼肉焼いてたら、
② 友達は土曜日の件でLINEたくさん入れてくるし、
③ カヨちゃんは「鮭のオスの注文」を聞いてくるし、
④ 珍しくKazが電話できるかと聞いてくるし。
②③④それぞれに、後で連絡しますと返した。
叔父宅の夕食は非常に珍しく話もはずまず、
私はビールも飲まなかったし、たいして食欲もなく、
なんとか1時間場をもたせて、早々に帰宅した。
↓ ちょうど8年前、
2016年11月21日のFacebookの記事がこれだったらしい。
私の所に遊びに来てくれた時の写真。

④ Kazは今朝、「Threads」に母親が亡くなったことを記していた。
亡くなったのは昨日だったようだ。何か乾いた文章だった。
Threads は、Instagramの文章バージョンのようなSNSだ。
写真も載せてるけど、独り言みたいな文が主流かな。
Kazの書き込みは気になったけど、
「いいね」を押しただけで、コメントは避けた。
2つ連続で書き込みしてるが、何かちょっと変わった文章?
Kazの感情がよくわからない……
少し時間をおいてからコメントしよう、と思った。
すると、Kazから電話したい、とのLINE。
叔父宅から戻り、②③に連絡し、
最後にKazに帰宅したとLINEを入れたら、電話が鳴った。
話し声はごく普通で落ち着いている。
数分話してから、
母親は実は自殺だったと語り始めた。
Kazは最初にたった一度、自殺という言葉を使って、
あとは「自死」と言った。
母親のことを話すのだから、その気持ちもわかる。
そして、この場合は、
自殺より、自死という言葉が当てはまる。
私はたいして驚かなかった。
声も口調も変えなかったけど、
血圧が上がっていくような気はした。
昨日の今日で、
私にかけて来たのは、
私も身内の「自死」を経験しているから、だろう。
Kazのお母さん、85才。
79才まで看護師として働いていた。
2人の子とは別に住んで、独り暮らしだった。
11月1日から、本人の希望で、
長年働いてきた老人施設に介護される側として入所した。
入所から3週間目の昨日、
せわしくて人に気づかれない朝食時間に、
自分のベッドの隙間に首をかけて亡くなった。
この施設のスケジュールも設備も何もかも知り尽くしている。
Kazは、少し責めるような低い声で、
「全部細かく計画してたのよ。」と言った。
…… それなら、それも有りだ。
「死に方や死ぬ日って、選べないじゃない?
だけど、それを選んだんじゃない? 自分で。
だったら、それはひとつの新しい選択だね。」
私がそう言うと、Kazも、
「そうだよね。」と母親の死に方を肯定した。
「その気持ち、理解できるよね?」
「理解できる。」
子ども達が手を離れ、それぞれに家庭を持って、
自分はひとり、仕事をしながら暮らしていて、
さて、この日々をいつまで続けるのかと、よく思う。
「この生活、あと20年とかって、飽きるよね?」
「月曜がきて金曜になって、土日、うんざり。」
「そのうち、曜日もなくなったら?」
「ひたすら、飽きる。」
Kazは猫を飼っていて、
私と同じことを口にする。
「この子より先には死ねない。それだけだよね?」
10年以上前は、母が、
「あ〜 もう早く死んでしまいたい。」
とあっさり言うのを、
親不孝な私への皮肉か当てつけのように感じたが、
いや、そうではなく実際は、単にそう思うのだ、
と、この年になるとわかる。
葬儀告別式は来週の27日なのだという。
1週間先だ。
「今は、冷凍になってるの?」
「そうだと思うよ。最近、混んでるから、みんな冷凍じゃない?」
ひどくドライな会話だ。
そんな言い方も含めて、
だからKazは、私を電話相手に選んだのだろう。
「お母さんは、成功したんだよね。」
「そう思う。うまくやったのよ。」
「良かったんだよ、これで。
自死と言えば聞こえが悪いけど、これは正解よ。」
「そう、本人の最良の死に方だよね?」
「うん! そうよKaz、お母さんは満足してるわよ。」
「ほんとに。すごく安らかな顔だったもん。」
「よく眠ってね、あと栄養をとって。
この1週間10日は心が揺れるけどしかたない。
また、心が上下したら電話して。」
「上下しなくても、また電話するわ!」
1時間半、話して切った。
本当は重い話ではあるが、
新しい人生の閉じ方として考えさせられる。
これが一歩進めば、「安楽死」の選択につながるのでは。
まだ書きたいことがあるけど、寝る。
① 叔母は仕事中から何度も電話してくるし。
で、すごく久しぶりに夕食を食べに行った。
例によって、焼肉焼いてたら、
② 友達は土曜日の件でLINEたくさん入れてくるし、
③ カヨちゃんは「鮭のオスの注文」を聞いてくるし、
④ 珍しくKazが電話できるかと聞いてくるし。
②③④それぞれに、後で連絡しますと返した。
叔父宅の夕食は非常に珍しく話もはずまず、
私はビールも飲まなかったし、たいして食欲もなく、
なんとか1時間場をもたせて、早々に帰宅した。
↓ ちょうど8年前、
2016年11月21日のFacebookの記事がこれだったらしい。
私の所に遊びに来てくれた時の写真。

④ Kazは今朝、「Threads」に母親が亡くなったことを記していた。
亡くなったのは昨日だったようだ。何か乾いた文章だった。
Threads は、Instagramの文章バージョンのようなSNSだ。
写真も載せてるけど、独り言みたいな文が主流かな。
Kazの書き込みは気になったけど、
「いいね」を押しただけで、コメントは避けた。
2つ連続で書き込みしてるが、何かちょっと変わった文章?
Kazの感情がよくわからない……
少し時間をおいてからコメントしよう、と思った。
すると、Kazから電話したい、とのLINE。
叔父宅から戻り、②③に連絡し、
最後にKazに帰宅したとLINEを入れたら、電話が鳴った。
話し声はごく普通で落ち着いている。
数分話してから、
母親は実は自殺だったと語り始めた。
Kazは最初にたった一度、自殺という言葉を使って、
あとは「自死」と言った。
母親のことを話すのだから、その気持ちもわかる。
そして、この場合は、
自殺より、自死という言葉が当てはまる。
私はたいして驚かなかった。
声も口調も変えなかったけど、
血圧が上がっていくような気はした。
昨日の今日で、
私にかけて来たのは、
私も身内の「自死」を経験しているから、だろう。
Kazのお母さん、85才。
79才まで看護師として働いていた。
2人の子とは別に住んで、独り暮らしだった。
11月1日から、本人の希望で、
長年働いてきた老人施設に介護される側として入所した。
入所から3週間目の昨日、
せわしくて人に気づかれない朝食時間に、
自分のベッドの隙間に首をかけて亡くなった。
この施設のスケジュールも設備も何もかも知り尽くしている。
Kazは、少し責めるような低い声で、
「全部細かく計画してたのよ。」と言った。
…… それなら、それも有りだ。
「死に方や死ぬ日って、選べないじゃない?
だけど、それを選んだんじゃない? 自分で。
だったら、それはひとつの新しい選択だね。」
私がそう言うと、Kazも、
「そうだよね。」と母親の死に方を肯定した。
「その気持ち、理解できるよね?」
「理解できる。」
子ども達が手を離れ、それぞれに家庭を持って、
自分はひとり、仕事をしながら暮らしていて、
さて、この日々をいつまで続けるのかと、よく思う。
「この生活、あと20年とかって、飽きるよね?」
「月曜がきて金曜になって、土日、うんざり。」
「そのうち、曜日もなくなったら?」
「ひたすら、飽きる。」
Kazは猫を飼っていて、
私と同じことを口にする。
「この子より先には死ねない。それだけだよね?」
10年以上前は、母が、
「あ〜 もう早く死んでしまいたい。」
とあっさり言うのを、
親不孝な私への皮肉か当てつけのように感じたが、
いや、そうではなく実際は、単にそう思うのだ、
と、この年になるとわかる。
葬儀告別式は来週の27日なのだという。
1週間先だ。
「今は、冷凍になってるの?」
「そうだと思うよ。最近、混んでるから、みんな冷凍じゃない?」
ひどくドライな会話だ。
そんな言い方も含めて、
だからKazは、私を電話相手に選んだのだろう。
「お母さんは、成功したんだよね。」
「そう思う。うまくやったのよ。」
「良かったんだよ、これで。
自死と言えば聞こえが悪いけど、これは正解よ。」
「そう、本人の最良の死に方だよね?」
「うん! そうよKaz、お母さんは満足してるわよ。」
「ほんとに。すごく安らかな顔だったもん。」
「よく眠ってね、あと栄養をとって。
この1週間10日は心が揺れるけどしかたない。
また、心が上下したら電話して。」
「上下しなくても、また電話するわ!」
1時間半、話して切った。
本当は重い話ではあるが、
新しい人生の閉じ方として考えさせられる。
これが一歩進めば、「安楽死」の選択につながるのでは。
まだ書きたいことがあるけど、寝る。
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