「発達障害児者の防災ハンドブック」
こういう視点で防災を考えることって、大事。
当事者や家族にとっては切実な課題。
地域の小中学校では防災教育がされているけれど
支援学校では、どうなのかなぁ?
校内での避難訓練は毎月行われているけれど…
災害時を想定した引き渡し訓練も
名ばかりな感じは否めないとは言え実施されているけれど…
ディスカッションされることもなく
啓発されるわけでもなく
腫れ物に触るような感覚なのかもしれない。
阪神・淡路大震災のあの日、どうだったんだろう…?
ラーラが生まれたのが1998年。
震災の、たった3年後。
っていうことは…4つ上の先輩は、生まれてたわけだ。
乳飲み子を抱えて、どう過ごしたんだろう?
もっと上の学年のご家族は、障害児を抱えて、どう過ごしたんだろう?
それぞれに、それぞれの事情や状況があって
様々な選択をされただろうし、いろんな思いをされたんだろう。
今の私たちなら…
迷わず車での避難を選ぶだろう。
被災地を離れて、安全なところで
一日でも早く日常に近い生活を送れるすべを探すだろう。
避難所で家族以外の人と一夜を過ごすことが、想像できない。
数時間なら、可能かもしれない。
一晩限りなら、大丈夫かもしれない。
ラーラ本人への負担。
それ以上に、周囲の方への遠慮。
「福祉避難所」というものが、例えできていたとしても
選ばないかも…しれない。
もし、10数年前だったら?
ラーラが多動で家族だけで過ごすのもきつくて
ポーも乳児で手がかかり、家族だけでは生活が成り立たない時期だったら?
「福祉避難所」というのがあれば、すがっただろう。
「公的な避難所」でなければ救援物資が届かないから。
オムツが買いたくても買えない状況なら、避難所に身を置くしかない。
配給の列に、並ぶこともままならないだろうから。
個人で避難してたら、公的な救援物資が手に入らない。
避難所生活を経験したから、リアルにわかる。
夜寝る家がある人も、日中には物資を求めて避難所に身を寄せた。
買いたくてもお店に商品が並ばない限りは
そういうのに頼らざるを得ない。
東北のときも、熊本のときも
救援物資はセンター的なところで管理され、市町村へ配分された。
混乱を避け、スムーズに行きわたるように。
阪神のときに混乱した反省を踏まえて。
でも、直接に届けてくれたらなぁって
そういうルートも確保してくれたらなぁって。
熊本のニュースでは、ペットへの支援がニュースになってた。
そういう感じに近いかもしれない。
人が先。
そりゃそうなんだけど。
家族であるペットをほっておけずに避難所に身を寄せない人は放置。
それ、わがまま?
なんとか…いろんな形に対応できたらなぁ。
支援学校から被災地の支援学校へ。
事業所から被災地の事業所へ。
通常の救援物資とは別ルートで
スペシャルニーズに応える救援ルートが確保できたら。
どうか、取り残される人がいない懐の大きな社会に向かいますように。
他人事じゃなく、私にできる何かを探していかないといけないんだけれど。
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