浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

議会質問、そして

2010-09-09 09:00:02 | 国際・政治

今、議会質問を書いています。

すでに何度も議会質問をしていますと、質問の傾向が似通ってきてしまします。それも平素の問題意識がそこにあるからだと思うのですが、十分に解決されていないという意識もあるのでしょう。

また自分の過去の質問、他の議員の過去の質問を繰り返さないように、過去の議事録を確認しなければなりません。インターネットによる検索システムによって助かっています。ただ同じような質問であっても、過去の答弁が不十分だったり、要望通りに行われていない場合は同じような質問になってしまうことはあります。

行政は保守的であり、予算の制約があり、地方の限界があり、すべて回答を了とするところまでいきませんが、少しでも良い回答を得るために、いろいろな角度から質問する必要があります。

問題意識とともに自ら勉強・調査しないとできませんので、大幅にその時間がとられます。

以上


議会質問

2010-09-08 09:43:41 | 国際・政治

9月議会の質疑・一般質問が来週から始まります。質問日は、4日間で前2日はテレビ中継となります。

質問者は、会派別に質問日の前日に発言通告を持って決定されますが、会派内では事前に質問者を決定し、その質問者は質問の準備のため大変忙しくなります。

質問者にもそれぞれ特徴があり、議案に対する質問、得意分野、地域の課題、市政全般、時流の話題など、多岐にわたります。

有効な答弁を引き出すために、事前に通告することは形式的だとい批判がありますが、議場での発言は取り消しができないとされていますので、慎重な質疑や答弁となるのはやむを得ないところもあります。

議員の思いを実現しようとする場でもありますので、議員活動としては決しておろそかにはできない場です。

ただ、議会の質問のやり取りには工夫が必要かもしれません。対面方式で、一つの質問に対するやり取りを行ったほうが、聴く側にとっては、内容がはっきりし、実質的に審議する形となると思います。議会改革の一つといえるでしょう。

以上


政治家の信念とは?

2010-09-07 07:19:38 | 国際・政治

この記事がブログを始めてちょうど100本目になります。一つの節目として、最近選挙に際しての政治家の信念とは何かを考える機会が多くなったと感じています。

これまでのブログでも、私自身の考え方を述べてきましたが、選挙を通して負託を受けた政治家がどのような行動を起こすかによって、その政治家の信念が問われるということになります。

そうした信念がなければ、政治家としての矜持が保たれないのではないのでしょうか。結果としての対立を恐れていては、政治家の信念は保たれんません。そのための努力、使命感をないがしろにしては、政治家たる存在意義はどこにあるのでしょうか。

政治家は、孤独であるがゆえに、自分自身の判断を信じるしかないのです。その審判は、有権者が下すのです。

以上


住民投票

2010-09-06 07:16:06 | 国際・政治

岐阜市の9月議会が先週3日よりはじまりました。

その補正予算の中で、住民投票条例の研究費が計上されており、住民投票に対するいろんな声が聞こえてきます。

住民投票そのものに関する知識は、私自身も十分でありませんが、いろんな方法があるようで、地方政治への市民参加が叫ばれる中、十分議論されなければならないと思っています。

前知識もあまりなく、いま思いつく課題といえば次のようなことではないでしょうか。

一つ目は、住民投票に際して、公平な情報がいきわたるだろうかということです。議論するなかで賛否は出てくるのですが、その課題が十分説明され、さらに有権者に判断材料としていきわたるかどうかということが心配されます。つまり公平な情報によって公平な判断がなされるかどうかということです。

二つ目は、住民投票にかかるコストです。民主主義は、チェック機能として議会のコストをすでに抱えています。二重のコストを抱えることの必要性が問われなければなりません。そのためにも、何でも住民投票すればよいということにならず、住民投票に対する規制は厳しくならざるを得ないでしょう。

三つ目は、選挙と同じで、イエスかノーの二者択一で、修正的な議論ができないということです。本質的なまた実質的な政策を実行するうえでは、妥協も必要になってくるのが行政経営ではないかと思っています。継続的にスムーズな行政経営をしなければ、そのしわ寄せは最終的に市民が負うことになります。

四つ目は、以上のことを踏まえると、議会の形がい化という恐れです。議会は必要ないという市民の合意があれば地方自治法自体を変えなければなりません。しかし、一方で議会をなくしてしまうリスクを考えなければなりません。その意味で、議会の在り方を考える良いチャンスなのかもしれませんし、そうした議論をしなければならないでしょう。

少し思いつくまま書きましたが、どのような議論になっていくのか楽しみです。

以上


あいちトリエンナーレ2010

2010-09-02 18:08:58 | 日記・エッセイ・コラム

今日、昼から時間があったので、あいちトリエンナーレ2010を見てきました。

名古屋の栄中心に数か所の会場で行われる現代国際美術展です。2時過ぎに名古屋に入ったため、会場は愛知芸術文化センターしか行けませんでしたが、それでも見て回るには急いでも2時間を必要としました。

前衛的な作品が多いため、素人の私としては理解しにくいところもありましたが、理解できないなりに時間も忘れ、十分楽しめる美術展でした。

何を表現しているのだろう、作者は何を訴えようとしているのか、どうやってこの作品は作られているのか、素材は何だろうか、などと作品に引き込まれ、あっという間の2時間でした。独創性、非日常、官能的、コラボレーション、先進性といった言葉で表現するしかない作品群に圧倒されたといったところでしょうか。

こうした刺激を受けることによって、新たな発想が生まれてくるとよいのですが。

以上