人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

「一炊の夢」

2013年12月13日 23時38分19秒 | 言葉
 仕事が終われば終わりという事:今日のもう一つの記事のタイトルでした。内容は以下でした。

 今日は仕事で空き時間ができました。年末でもありますので、溜まったメールの整理をしました。アドレス帳も取引のなくなり何年も疎遠になった方々の古いアドレスが溜まっていましたのでこの機会に削除しました。一人一人削除して行きその方々と一緒にした当時の仕事が思いだされましたが仕事の関係が終われば終わりという気持で思い切って削除しました。
 もし、病気に倒れずに、健康な体であればと思うと今の私の境遇を考えると空しいというか、悔しいというかそんな思いが込み上げてきました。
 思えば、2007年には米国横断出張。NYC->DFW->SFOを一週間で出張しました。2008年には台湾出張。振り返るとこの時期が私の仕事の絶頂期でした。その後、リーマンショックで会社は傾き、2011年には、病気に倒れ障害を持つ体となり2012年にはリストラで物流管理の仕事から外され・・・給料も激減して、毎日、障害と戦う日々。このままで俺はいいのか?と・・・・・・・。
もう一度、国際物流の管理がしたい。国際物流の仕事は毎日、動きと早さが要求されます、この体では、早さのある仕事は出来ない。現実は厳しい。現実は障害のある体。気持ちは負けないぞの思いですが、元に戻らない体。誰かの介助がないと何もできない。「なぜ苦しくとも生きねばならぬのか?」暗い気持ちになりました。生きて行くためには。今日はそんな思いを強く感じました。
 
そんな気持ちの今日、家に帰りネットで「一炊の夢」という言葉を見つけました。調べてみると、以下の物語でした。

「一炊の夢」:

趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。「一炊の夢」は人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られている。


「何事も 夢まぼろしと 思い知る 身には憂いも 喜びもなし」 (足利義政)

「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」 (上杉謙信)
「戦功を競った一生も、一眠りする間の夢のようだ。天下に名を馳せた一代の栄華も、1杯の酒ほどの楽しみでしかなかった」


「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」  (織田信長) 
人間の一生は、夢か幻のように、アッという間に過ぎ去る。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」豊臣秀吉

「おれはいったい、何をしてきたのか。思い出など過去のこと。切ない、むなしい」 という心情だと思います。
上の4人は、地位、名誉、金、財産、享楽などをすべてを手に入れても「夢のまた夢」。

私は「なぜ苦しくとも生きねばならぬのか?」人生の目的を求めて行こうと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 毎日のスナップ写真 | トップ | ”JOYEUX NOEL” 笑顔を取り戻... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言葉」カテゴリの最新記事