いつの間にか、フィギュアスケートって、4回転が主流になってますよね。
人間ってどこまで進化していくのでしょうね
昨日も消灯まで、母の病室で過ごしました。(前にも言いましたが、骨折を忘れている、手術したことも忘れている、病院にいる事も忘れている・・・柵の乗り越え徘徊)
完全看護ではあるけれど・・・手が足りていないよね・・・皆さんボタン押して、看護士さん呼んで、そこからさらに、待たされる、忘れられることもある。
それみてると、わたくしどもは・・・働き盛りの方たちよりは毎日・・・暇っす。
取りあえず、しっかりするまで・・・どうも、しっかりするまで・・・はないような・・・・
残念だけど消灯時間が合図で帰ります。(病室真っ暗になる)
21時過ぎると、車もずいぶん減るので、帰りは行く時の半分の時間で、家へ着きます
結構飛ばしてるのかも・・・・
それでも、私の前へ、車が入ってくるんですよね・・・師走だよ、事故に気を付けましょうよ・・・
ここへ来て・・・①兄が絶不調
母と同じ病院にかかりはじめました。
しかし、2回脳こうそくで倒れて入院、2回目なんて脳幹の部分なんで・・・無事に復活してるのが奇跡に近いよね。
だけど自分の嫁と母・・・を介護・・・大変なストレスだろうと思う、なんか、兄も私と同じタイプで、大変さがにじみ出ない。
これは、損なのか?得なのか?と言われれば、損じゃないかなと思います。
独居老人と面倒見る家族が一緒に暮らしている老人との介護認定って、差があるような気がします。
どうなのかしら?この性格もあるような気がする。
②口だけは挟む、小うるさい姉も、11月半ばに手術をして下旬に退院、本調子ではないと電話があり
病院には、いけませんとのこと・・・母が入院して2週間たちますが、1度も姿を見せません
だが、いう事は言う、責める、なんだかよくわからないが、○○ハラスメント(笑)
ので、一応釘は指す・・・「何かあってこちらが判断したことを、後からいろいろ言わないでね・・・。」
同じ血を分けた兄弟ですが、性格がバラバラ。もう一回ぐらい、釘じゃなくて、杭さしとかなきゃいけないかも
③また、私、血尿でございます。病院に走りました。早いうちに治さないと、全部に影響していくからね
兄は、私が行くと・・・必ず椅子に座って、私を待っています。
「早く帰っていいよ」と促す・・・もう、ほんと恐いですよ、兄が倒れたら(兄は、私が倒れたらって思ってるかも)・・・
お嫁さんは、誰が看るの
子供たちでは無理であろう思うと、もしかして・・・あ・た・し?
ぞぞぞぞぞっ・・・トリプルで・・・・看るんかいな?
母は、昨日は中々寝なかった
「私は、捕まったのね」
「私を置いてかえるの?いつ帰ってしまうの?」
「私は・・・じっとしておけばいいのね」
毎度、毎度・・・良くもまぁ、同じ話を繰り返す。その問いに、答えた時の反応、必ず驚きの声「へぇ!」・・・(笑)
看護士さんを呼ぶボタンは、2週間たつが、ただの1度も押すことはないです。(忘れちゃうからね…それも秒殺で・・・)
私が「お母さんが、寝たら私は、帰るよ」
そういうと
母は「じゃ・・・寝ないでおこう」っと子供のように口をすぼめる姿が、可愛らしくて、思わず、頭を、なでなで・・・。
夕飯時の、病院の看護師さんたちの、ドタバタを見てると
家族の皆さん・・・お食事時と面会時間が終わるころまでいてご家族のご用事をしてあげて、3日に1度でいいから
なんて、思います。(でもお仕事されて、ほとんどの方が忙しいよね)
母とのおしゃべりも、また、楽しい、とんちんかんだけどね。
「お母さんって、凄い美人だったのよ」
「へぇ~~、誰が言ったの?」
「皆が言ってたよ」
「私とおねぇちゃんは、お父さん似で、お兄ちゃんが、お母さん似なんよ」
そういうと
私の顔を見て、急に
「うふふふふ」と笑う・・・失敬な(笑)
でも、笑う姿を久しぶりに見た。
母が、まだ私たちを、忘れてしまう前に聞いてみたいことがあった。
「ねぇ、お母さん、幸せだった?」
「う~~ん、まぁねぇ、幸せだったのでしょうね」
思わず、こみあげてくるものがあった、良かった、今の母の頭の中の思い出は、幸せであったという事
そう、心に刻み付けた。