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自民党 憲法改正草案を読んでみる。(その1-補足)

2016年03月06日 | 改善したいね
前回、一年ぶりに書いたブログになるが、きっかけは新聞に今国会審議の中で「自民党の安倍首相に対する改憲案条文への質問と回答」があり、結果、自民党が既に改憲案を公表していることを知った。

うかつにも改憲案が明文化されているの知らず、あわてて調べたであるが、今後認識を新たにする切っ掛けとして、自民党の改憲案と現行憲法の前文を比較のため記載した。

前文はまるっきり書き換えていることを知った。前文をすっかり書き換えたことは、自民党の改憲の目指すところは現行憲法を踏まえた物ではなく、現行憲法が掲げた民主主義の意趣を変えた憲法を作ることにあることがわかる。

現行憲法前文の出だし”日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。”を書き換えている。

憲法前文を改めて読んでみると、一票の価値が2倍以上の格差になる不平等な状態で選挙された国会における代表者を通じて行動せざるを得ない現状を容認している日本国民は甘く見られても仕方ないのか(おっとっと話がそれてしまう)

では自民党改憲案前文出だしはとみると”日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。”とある。

実に分かりにくい文章である。統治するのが天皇にあるか国民にあるかをどちらでも取れるあいまいな文であるが、ながれから”国統合の象徴である天皇を戴いただく”と”統治する”との文章で天皇が統治する憲法にすることが趣旨であることがに読める。そもそも「統治する」という言葉自体、民主主義で使われない言葉である。
したがって、大日本国憲法にならい、日本国民の主権をは天皇の臣民としての主権として定義したい文章と考えられる。これにより人権が制限される可能性もある。


この自民党改憲案がフリーメイソンではあるまいが錦の御旗を掲げて裏で勝手なことをする・・主義者や大日本帝国時代においしい目を見ていた人たちが現行憲法を行き過ぎた民主主義として決めつけた作ったものではないかと懸念される。もう少し読んでみたい。百条以上あるので読み終わるのは何時になることか・・

いづれにしろ、前文出だしからこのような文章であると主旨の解釈を含め非常にわかりにくく、憲法外で決められることがたくさんあるのではと懸念される。
また軍隊のシビリアンコントロールが十分行われる仕組みがあるのか読み解かなくてはならない。
兵力と装備調達、機密という力とお金と隠し事がある仕組みは腐敗の温床となりやすい。

余談になるが、米国でさえこれをコントロールできていないことは部分的にしか制御できていないことは明白である。
軍事脅威をあおってあちこちで紛争に介入して軍拡を行い、国民の犠牲を払ってきている。共産主義があったころは資本主義が民主主義だとして仮想敵国を設け軍拡をしてきて、開発途上国で代理戦争を続けた。ベトナムでは直接介入ししかも破れてしまった。
あまりに、米国民である兵隊の犠牲が問題になり、既に遠隔兵器の開発で兵隊の犠牲をなくしたまま、戦争ができるようになっている。これはある意味恐ろしいことである。


<参考>
  日本国憲法
主権   国  民
天皇   日本国・日本国民統合の象徴
軍隊   戦力は保持しない
     (平和主義、戦争の放棄)
人権   永久不可侵の権利として、基本的人権を保障する。
国会   国権の最高機関
内閣   国会に対して責任を負う。
裁判所  司法権の独立
選挙   普通選挙


【拡散希望】 昭和なやじさん
コメント
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